1) 昨日の木島平のフォーラムでは
日本文化研究センターの安田喜憲さんの基調講演から始まりました。
内容は、
ミネハハの歌との出会い、 長江文明の発見までの経緯から始まり、
畑作牧畜文明(小麦) と 稲作漁労文明(水田) の対比 という
概念 の提示でした。
特に氏が指摘するのは、 これまでの 《文明観》自体が、前者を前提にしており、
それが、人間 と 羊などの家畜のみを優先し、環境を壊してきた(禿山にした)、
とします。
これまでの文明の定義だった 「城壁」や「宮殿」の存在は、
「戦争」と「搾取」が もたらしたもの との考えです。
一方、 日本に残った稲作漁労の後者は、自然と共生する生き方で、
その精神的な本源となっている縄文期には、 「戦争」も「搾取」もなかった、と。
そして、今回の講演では、最後に、
6000年前の縄文期の墓から出土した、土製のペンダントの紹介がありました。
そのペンダントには、小さな子供の足型が残っているのですが、
それが発見されたのは、大人の墓で、 自らの子供に先立たれた母親が、
その子のことを忘れまいとして、 一緒に葬られていた、と解説しました。
そこには、イノチを思いやる文明が確かにあった、とし、
そうした感性で 現代文明を作り直そうと、話されました。
いつもの安田節です。
環境考古学、長江文明の発見、稲作漁労文明の定義。
安田先生のこれらの業績は、私たちに、これまでの文明体系を、
客体化する視点を与えてくれました。
その上で、私たちは、氏が期待する、新文明の創出を考えなければなりません。
2) 新文明を、どこからスタートするか?
まず、自然に溶け込んだままの精神性で、科学が発達したのかどうか?
科学は、自然現象を客体化する、簡単に言えば、測ることから、始まりました。
自然に溶け込みながら、自然を測る。
自然により溶け込むために、 自然を測る。
これは、より自分を生かすために、自分を客観視する のと同じです。
私は、畑作牧畜は、常に、面的な領域拡大を志向したのに対し、
稲作漁労は、限定された領域での イノチの循環に豊かさが意識され、
そこでは、多くの生き物の理(ことわり)が発見され、人間生活に生かされた
と考えます。
無限の中で、 直線的な拡大 を志向するのか、
それとも
有限の中で、 循環的な豊かさの享受 をめざすのか。
日本列島という限定された有限の領域 の中で、 この循環がより強く
意識されていくところに、皇祖神アマテラスも生まれたのでしょう。
3) インドの学校と、 日本
ミネハハさんと、コンサートの前に少し話をしました。
今、インドの学校は3校になり、どんどん生徒が増えて、900人になったと。
これまで、インドの公用語の英語もできなかった子供たちですが、
学校に来て英語と同時に、喜んで日本語を学びだす子どもも 出ていると。
今、頭を痛めているのは、 卒業後の子供たちの自立です。
ビハール州に、どんな産業を根付かせられるのか、とのことです。
ただし、この地域の人間は、もともとが、とんでもないくらいレイジー(怠け者)だ
といいます。
これは、ブッダの教えが、
「地上にあるのは、すべて、ひかりの現れ方の違いに過ぎない。
それは、仮のもの。 とらわれるな」
という部分が強く残って、今生の豊かさに執着しなかった意識の人間が、
2500年も残った結果でしょう。
しかし、これは、本当は、ブッダの語ったことの半面でしかありません。
人間として生まれたことの意味をどう捕らえるのか?
さらに、人間として生まれた自分の 心と手足を、一体、何のために使うのか?
です。
ミネハハと、いろいろ、話しました。
彼女の活動を、政治的に使おうとする人間も多いといいます。
で、特に、インドのカーストのことです。 これが続いてきた理由は何か?
大概、バラモンたちは、こういいます。
何で、最下層の身分に生まれたのか?
それは、前世で、悪行を行ったから。
だから、今生では、自分の言うとおり、善行を積め。
こういって、インドのバラモンは、その善行を指導する立場で、
自らの特権を固めて行ったのですが、
これを、どう打ち破ればいいでのしょう。
まず、
人間として、この世に生を受けたことを、喜ぶこと。
今、人間として、生きている喜び を いつも感じていること。
そして、何かを 追いかけるのではなく、
いま、生きている、この喜びを、形にして、 人に届けること。
この、 《喜びを形にすること》 を、教える場に しましょうと。
インドは、私には、遠い存在でした。
まだ、行ったことがありません。
親しい友人にはインドに詳しい人が何人もいるのですが、
私は、どうも、このミネハハの学校との縁ができるまでは、
その世界に立ち入れなかったようです。
今、私が住む信州中野と、インドの関係をどうするか?
IT関連事業や ものつくり では、直接のつながりはありません。
やはり、農業 です。
そして、 仏教です。
新井説では、 日本で 一番最初に 仏教文化が広まったのは、
ここ、北信濃の地です。
日本で 仏教が入るときには、4世紀末に、ガンダーラで
景教(キリスト教)のとの習合があってから あとです。
ブッダに触発されて、イエスが私たちに示したもの。 それは、
《人間の心こそが、次の現実を作る 創造神のヒカリの放出口 だ 》
ということでした。
>>その 「ヒカリの放出口」 が、本来の 本当の意味での《自我》でした。
私たちが普通、理解する、自分個人の利益を求める欲望の核となる自我は、
幻想に歪められた、 まだ曇ったままの状態の 自我 なのです。
自分の喜びを形にして、 周囲のものに届ける。
さらに それを受け取る側が、喜んでもらえる形に 工夫して、届ける。
これが、ゴータマでも、イエスでも、私たちに求めたことでしょう。
すべての出発は、人間として生きている 喜びの自覚にあります。
そして、純粋な思いで繋りあうことで、 私たちの喜びは、
何倍にも、何乗にも、さらにさらに 膨らんでいきます。
「戦争」や「搾取」を、克服し、 「永遠の繁栄」をもたらすもの。
それは、 このインドと、私たちの日本「文明」 の中から見えてくる
と確信します。
稲作漁労文明。日本とインドをどう見るか?ミネハハ学校
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。