来週、24日(水)、国会が始まりますが、この日の未明に、地震が来ると、注意を促しているブログがあります。
「預言者」は、「尼さん」で、昨年の3月の東日本大地震も当てた人だといいます。
もし、24日の未明に、首都圏が大きく揺れたら、国会は開かれず、消費税の関連法案は通りませんが、現在の内閣はそのまま継続していくことになります。
そのときの揺れの大きさ、被害の程度にもよりますが、その場合、都市部での生活を諦める人間が続出します。もちろん、東京の資産価値は、大きく減ることになります。
地震は、昼に来るとは限りません。昨年3月12日、ここ北信濃の栄村では、やはり、未明の4時ごろに起きました。
懐中電灯、ラジオ、水、非常食、現金、そして、外に出るときに体を覆える外套を、いつも、枕元に置いておいてください。
少し、話は飛びます。
ここでは詳しくは書けませんが、日本史を調べていて、私はあることが気になっています。「選民意識」と、「身分制度」のことです
499年に「バビロニア・タルムード」を作り上げた勢力が、7世紀の日本列島に、「天皇」を作りだしたのではないか、と睨んでいるのです。彼らは、ササン朝ペルシャ時代まで、ずっとバビロニアにいたのです。
一方、現在に続くカトリック(バチカン)が誕生したのは495年です。これは、ヒエロニムスが20年(386~405)かけて翻訳したラテン語「聖書」にあるイエス=神を絶対とし、ローマの司教が、自分こそが「神の代理人」と言い出したのが始まりです。彼らは、自分の理解や発言こそが、神イエスキリストそのもので、太陽よりもありがたいものと強弁し続けました。
バチカンの権威が確立していた中世1000年間に反発し、キリスト教の中でも、自分こそは「光りの戦士」だと自覚するグノーシス派から、未来を創りだす強い自負とエリート意識を持つものが現れ、彼らが現実世界を処する「経験論」と結合し、イルミナティーや、現在のスカル&ボーンズが生まれています。
私が気になるのは、日本の明治以後の官僚達、そして、門閥たちの特権意識に、彼らと通呈するものを感じるのです。これは、身分意識のことです。
8世紀の初めに大宝律令や記紀ができたあと、奈良での政治的混乱の後、8世紀の終わりに、桓武によって平安京ができますが、ここで、強烈な序列意識がこの国に生まれ、これをもとに「身分」が始まっています。
この「身分」意識が、いまだに、この国では払拭されていない。特に、公務員にそれが顕著です。
もし、獲得した「身分」こそが、自分の存在証明だと考えるものが、この国の制度の根幹を握っているとすれば、それを守るためなら、一体、何をするか?
私は、この列島の中に、「新しい国」をつくりあげるしかない、と考えます。それも、未来からみて、過去に囚われない意識の「新しい人類」が生み出した国です。 これを、今、日本に生きる人間が、意識して創りだすしかない。それしか、子供達に、すばらしい未来を届ける方法がないのではないか、と考えるのです。