長野善光寺に、ダイライラマが来ました。
2年前の4月、北京オリンピックが開催される直前、四川で大地震が起き、一方、世界各地で、
中国からの独立を求めるチベット人亡命者とその支援者による、デモがありました。
日本でのオリンピックの聖火リレーの出発地を予定されていた長野善光寺は、
中国国内の人権問題に抗議し、これを取りやめました。
あの日、私は、知人の子息の結婚式に呼ばれ、長野にいました。
長野善光寺が、いつどのようにしてできたのか? 大きな謎です。
ここにある、ご本尊は、絶対秘仏とされ、前立観音を信者は拝みます。
日本に現存する、奈良飛鳥寺(法興寺、もしくは、元興寺)よりも、長野善光寺は
古いとされますが、本当はどうなのでしょう。
この長野善光寺は飯田方面から、ご本尊が届けられましたが、千曲川(信濃川)の北側から、
本尊が来たとされるのが、中野市にある、元善光寺の南照寺です。
最初に「仏」が着いた場所は、高速の中野インター近くの「牛出(うしいで)」です。
たぶん、AD 538ぐらいのことでしょう。
漢字文化で「南面する」とか「南を照らす」というのは、本来、皇帝の立場を意味します。
今朝の7時のNHKニュースで、中野市が登場していました。
中野市はキノコの人工栽培が盛んで、エノキダケは、全国の30%以上を生産していますが、
これに、ドイツから視察団が来た、というものでした。
キノコは、「草」の「耳」と書きます。 「茸」。
観音 は、人間がつくる 世の中の音 のヒビキを 観ます。
茸 は、 大地に溢れる、イノチの声 を聞きます。
そして、
弁天 は、 天上から降り注ぐ、星のメロディーや、光のリズムを、
この地球上のイノチたちに、音楽や情報にして、届けます。
夏の夜には、蛍が、この三つを感じて、舞っています。
夏至がすぎました。信州でもホタルの季節ですね。
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。