昨日の話の核心部分を少しだけ公開。
1) 日本にいつごろ仏教が入ったか?
これは良く知られますが、 AD538年。
釈迦の誕生が、だいたいBC460年頃ですから、この間、1000年あります。
アジアでは、この長い期間に、どんな物語があったのでしょう。
中国では前漢の終わりに、初めて、大月氏国の仏教僧が訪れ、
後漢の桓帝が最初の仏教信者といわれ、そこから三国時代になります。
それから、約400年たって、日本に仏教が入りますが、この間、
仏教そのものが、完全に変質しています。
この過程を、話しましたが、時間が足りなくなりました。
(続きは、 7月15日になります。)
その変質の物語は、まさに、世界史の比較思想史、あるいは、宗教成立史です。
2) 釈迦が悟りを開いてから、約100年後、その教えに触れて、
それまでの生き方を100%変えた人間がいます。
アレクサンダーです。 これは、有名。
マケドニアから世界征服にきた大王が、考え込んで悩みだす姿を見て、
一緒にギリシャ方面から来た部下や職人が、釈迦の思想とその姿を、
思い浮かべ、それを形にします。 ガンダーラ美術が生まれます。
ギリシャ人は、生きている人間の、肉体と、可能性を賛歌する人たちです。
個々の部族を超えて、この世に生きる人間は同じで、知りえた知識を
どんどんシェアし、人間の可能性を広げようというヘレニズムが広がります。
この考えは、自分たちのみが神YHWHとつながっていると考える、
ヘブライ人主流派ユダ族の、ヘブライズムの否定になります。
アレクサンダーがBC331に、アケメネス朝ペルシャを滅ぼした後、
部族を超えた融合がペルシャから地中海世界でどんどん進みますが、
カナンにもどって王国を再建していたユダ族には、婿入りしたハスモン家が、
自分たちの政治性を高めるべく、再度ヘブライズムの強化を始めます。
「ソロモン神殿」を作り、さらに、モーゼ以下預言者たち言葉をまとめた「トーラー」
を完成させ、 それにしたがって生きることを最高善とする、パリサイ人を生みます。
しかし、預言者の言葉の意味を良くつかみ、実際に神と人間の関係を、
冷静に感じ取る人たちは、世俗の権威化とは離れて独自の信仰を保ちます。
こちらがエッセネ派です。
この中から、イエスが誕生します。
本名は、イエス・インマヌエル。
インマヌエルは、「神(エル)とともにある人」という意味です。
イエスは、アレクサンドリア図書館に通い、当時の世界各地の知識を吸収します。
そして、アレクサンダーの心を変えた釈迦に惹かれ、インド行きを決意し、
フェニキア人の船に乗って、インドの西海岸に着きます。
そして、釈迦が悟った、イノチの根源の光の実相をしります。
それから、カナンにもどって、最後の3年間になります。
3) 一方、アレキサンダーと接触したあとのインドには、アショーカ王が仏教を保護し
ましたが、既得権が壊されると感じたバラモンから支持されずに廃れていきました。
釈迦の説く理は、アレクサンダーに付き従ったギリシャ人の子孫が留まった
バクトリアで、探求が始まります。
そこに、西域から月氏が入り、大月氏=クシャーン国になります。
このとき、もともとバクトリア方面にいたサカ族がインダス川下流域に移りました。
彼らは、アラム語を駆使し、交易圏を広げていました。
私は、このサカ族と、イエスが接触していたのではないか、と考えています。
サカ族を通じて、イエスの生き方に触発された人間が、きっと、大月氏(=クシャン)
国のカニシカ王でしょう。 彼の治世下で、大乗仏教が生まれます。
東アジアでは、「漢委奴国王」の金印を出した光武帝の約100年後です。
私たちにお馴染みの「妙法蓮華経」は、この王の下で編纂されました。
それが、漢文訳され、日本に入るには、何があったのか?
本をお待ちください。
お釈迦様生誕から千年かかって日本に
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。