この週末、いろんな人と会えそうです。 あるひとに誘われて、
第11回、白馬会議に参加することになりました。http://www.hakubakaigi.com/
今年の討議テーマは、以下のようです。
大丈夫か? 日本のイノベーション
ー 4つの壁(組織・財政・技術・防衛)を突破せよ ー
東の「ダボス会議」を目指すとのことですが、参加メンバーを見ると、少し、気になることがあります。
不比等以来の日本語の言語空間の罠に、気づいているかどうか、
そして、明治維新後の政治「希少資源の権威的分配」の実相の中で、自分自身がどのようなポジションでいるのか、
その自覚があるかどうか、 この点が、とても気がかりです。 これは忖度・改竄での、権力・既得権「擁護」と関わるからです。
私が、なぜ、孔子・始皇帝から始まって、唐(太宗・高宗・則天武后・玄宗)までの中国史を徹底的にみなおすのか?
ここに、日本列島での、人間社会の権威構造を、形作りしだした、その真相を知る鍵があるからです。
そして、桓武以後の鎌倉・室町に続いて、信長・秀吉・家康・家光・光圀・・・・・・光格・孝明 のあとに、明治。
いずれも、宇宙の中心「太一」と地上世界(西欧・大陸・半島・列島)、その地上世界の中での、夫々の統治体の「権威の勢力範囲」。
さらに、ウィーン会議以後の、国境を越えた地球規模の人間の営み=金融でのグローバライゼイションのなかで、日本の優位性は何か?
果たして、明治になって、近代化したという日本の統治体は、森羅万象と向かい合った自然科学の成果を、いい現実創りに、
ストレートに生かしているのかどうか?
アメリカの場合、最初はインディアン退治の西部劇が主流だったハリウッドが、戦後も大成功を続けているのは、単に、マーケットを広げるという商業的動機のみではなく、
徹底して時代に合わせて、人類全体にとっての普遍的なテーマに向き合きあい、先取りして、世界の指導性を確保してきたからです。
これが、日本の場合、戦後になって、アメリカの特別行政自治区になっても、皇国史観を基礎とした権力構造がそのまま続き、
国家の経営資源の分配が歪められたままになっていることに、気づいているのかどうか? 改変の意志は、アリやナシや?
IT、SNS,ロボット、AIを使って、どんな現実を創ろうとしているのか? 得意分野のアニメやCGを、生かし切っているのかどうか?
そのとき、生命の生態系と人間の文化性を、どう生かそうとしているのか? 本当の快適さ、幸福感とは?
何を実現したら、日本(日本国? 日本人? 日本企業?)は、優位に立てるか? それを、拒むのは何か?
今の列島内の体制(国家資金の流れ、金融、情報、メディア)と、今のままの各自の意識で、それは可能か?
こんな議論がされるのかどうか、少し見てきます。