「愛江山 更愛美人」
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時代を見るときには、目先に表出した事象の裏には何が有るか、何がその事象を表出させたのか、まで、考えましょう。 このとき、3つのうねりがあります。
① 大潮流
② 表面の波 周期的。 大潮流の中での調整波。
③そして、個々の私的利益のための、戦略的な「演出」、「ごまかし」、言い逃れの「アリバイ作り」。
「華僑の本部シンガポールとアメリカが軍事協力する、これは対中包囲だ」と またまた騒ぐ人がいますが、これは、上記の②になります。 人民元の国際化が決まったので、「オレサマ主義」を降ろさせるもの。
そして、日中で、ともに問題なのか、格差問題と、環境問題です。
中でも、環境問題は深刻ですが、実は、一番、ひどいものは、日本のフクシマに限らず、放射能問題です。これは人類史的課題です。 国家間が、対立状態にある内は本格解決に向かいません。 それを知っての上で、この問題の解決に向かっていくのが、人類全体の大潮流です。宿命と言ってもいいでしょう。
この過程で、国家主権のもつ「暴力性」が弱まり、さらに、マネーのもつ「略奪性」も薄まっていきます。(対ISISで、世界各国が建前上は、一致団結を始めているので、ようやく、こっちの流れが生まれます。)
2012年からの人類全体の流れは、第3次大戦の回避=戦争屋の退治。FRBのドル基軸に代わるマネー体制の構築。 環境問題への国家を超えた取り組み。貧困撲滅です。
中国でのPM2.5 は、視覚的にすぐに解りますが、 この対策は工場を止めればいいだけです。日本では、すでに1970年代に経験した問題で、中国政府が、どう国家の資金を使うか、あるいは、民間の資金をどう使わせるか、という政治的な政策次元の問題であって、科学技術の面では、すでに解決できるものです。フクシマとは深刻さが違います。
クリーンエネルギー に加え、フリーエネルギーの実用化と早急な普及は、PM2.5を抑える脱化石燃料と一体です。
でも、これができても、フクシマは、まだ、放射能が露天状態のまま出続けているのです。飯山さんの放知技では、「露天臨界」という言葉が定着しています。極端な破壊を伴う地上爆発はなくなり、テレビで毎日、おめでたい話題ばかりを垂れ流しますので、放射能が目に見えないだけに、内部被曝のことはすぐに逸(はぐらか)され、忘れ去られますが、今も、今後も、深く進行し続けていくのです。
日本のメディアで繰り返される,「権威」「知名人」の言葉や判断は、「問題の自覚」を遅らせます。その分、被曝被害が生命にあたえるダメージは深刻化してしまう。
日本国でそうした事態が進展していても、海外では本音では、「日本国民が気の毒だが、あの政府が続いたほうが、自分たちにカネが回ってくるなら、それも許す」だったのが、これまでですが、このパリCOP21からは、少しは変わるでしょう。 「化石燃料をやめると言っても、代替策が原発では、フクシマの二の舞いになる。」
中国人民元のSDRを使って、環境問題やインフラにカネを回せる仕組みができるなら、それを世界が使えばいい。
こうして、考えるときに、いつも、思うのは、
今、大潮流の中では、人口を削減する意志も、働いているのだな。 と。
しかし、その一方で、これまでの、国家、マネー、宗教(「神の概念」の強制普及)に振り回されないで、それらを超越して、自分の生活を組み立てられる人間の登場 を促している、と。
国家、マネー、宗教は、 人間の思考が創りだした、「文明」での一形態(道具)です。
これらを使って、何を実現するか? 今は、 この視点と、自覚・決意が、個々人に求められているとおもいます。
そこに、入れるかどうかが、 ロボット人間のままか、 神人(超人)になるかの境目だとおもいます。皆神塾は、もちろん、後者のための研鑽の場です。私自身にとっても。
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天地の間にあって、人間とはどんな存在なのか? 多くの戦乱、度重なる飢餓、天変地異。 こうした、過酷な運命を飲み込みながらも、私たちは、この6000年の人類文明を続けてきたのですが、
その時、自分個人として、 どう、天地を見るか? そして、どう、イノチを伝えるか?
自分のイノチを未来に伝えるという時には、伴侶が必要になります。子孫の誕生は、一つの宇宙の誕生でもあります。 それだけに、人類の行方に関わる天地を感じる視座 と、恋愛での私的な感傷は、ときに一つになるときがあります。
中国では、2500年前の老子の時代から、人間が創りだした「社会」に対し、そこから出て、自分と、大宇宙・大自然を、ストレートにつなげる視点が、多くの芸術を産んできました。決して、自分を失わない。自分が大切にする心の世界(特に生殖に繋がる恋の世界)を、宇宙の星や、地球上の大河や大海に響かせて感じます。 国家やそこでの政権とは、人為でできたものであり、盤石に見えても、偽りが多く、時に脆いものであることを、大陸の歴史ドラマを実見しながら、遺伝子の中になかに染みこませ、心底知っているからです。
なんか、理屈が長くなってしまった。
冒頭紹介した、2つの歌は、大陸中国のスケール観の上に、人間の営みの全てを飲み込んで、この地上で、自分の心を大切に、力強く生きる決意を歌っています。改革開放後、大陸と台湾の交流が活発化した時に生まれました。
前者は、黄河の流れを愛し、さらに、東方にいる、わが愛する女性を、より強く愛する、と。
後者は、別れるときに、(すべての生命の母だった)海はどんな色をしていたのか、手紙に書いてね、と約束したけど、それは何色だったの?
ps:
中国人は、個人の運命で隘路にあうと、大地や宇宙という、すぐに、極大方向に思考が向かうのですが、実は、それだと、国際政治のパワープレーに勝つ政治的な力を創りだすことはあっても、それでは、良い現実を創りだす、「ここちよさ」という、日常の芸術化ができません。微細に拘った作品や暮らしぶりtを、権力者や富豪になって求めることはできても、革命革命で壊されまくった挙句の、カネの追求が先に立ち、自分たちだけでは、なかなか実現できない。
今、それを、日本社会の中に感じています。 花鳥風月と、人間の心が響きあった世界。
実は、「花鳥風月」と人間の営みが融合するのは、極大に向かうのではなく、極小の世界に通じる微細波動での感応です。 これは、心の持ち方に反応する、微生物の世界でもあります。でも、この心の持ち方と、イノチの関係で、数字を用いて、ウソを教えているのが、今の日本の権威たちです。生命現象の結果を測るばかりで、生命現象の力を増やすことに、感覚が届かない「利権主義者」だからです。
一方、飯山大魔神の発酵技術が、中国都市部のし尿問題と砂漠化を、同時解決する日も近い。あとは、エネルギー技術だけど、こっちも、ニホンの草莽で生まれている。今はまだ、戦争屋と一体の日本の利権主義者どもが邪魔しているけどね。