「日本の学者は、なぜ真理性を通すことができないのか?」

植田さんが、日本が原発にもつようになった背景と過程をまとめています。
そして、もっとも重要なことは、このきわめて危険な技術でありながら、これを推進した、
日本社会の権威であるはずの、東京大学の科学に対する姿勢です。
真実や真理の探求よりも、科学技術を使って、利権を作ることに、まい進する姿です。
この淵源は、日本の過去の歴史(事実史)を探求せず、記紀に書かれた内容(文章での叙述史)
のみに依拠する姿勢です。
これが、1300年前、大和朝廷での「天皇の権威」の創作から始まり、それを近代国家形成の中で、
さらに明治政府の人間たちが、中央集権をすすめるときに再度、持ち出され、そこで利権を作り
出す際の、精神的正当性に使われました。これが、明治からの「法治国家」の性格を決めました。
戦後は、科学的知見を元に、国家が国家規準としてを数値を「法的」に取り上げる際に、
「国家の権威」となる人間たちが、自己を客観視することなく、自らの無謬性・絶対性を
精神的に誇る、子供じみた自己愛を許す無知蒙昧さの基点となりました。
自らが知り得た「知に対する姿勢」では、近代科学の父、アイザック・ニュートンの謙虚さを、
全く持ち合わせていなかったのです。
私が今回、アメノコヤネを祭る枚岡神社で感じたことは、日本社会の「権威者たち」の自己愛
の起点を作り出してしまった、記紀の編纂当時の総責任者、不比等の「嘆き」でした。
不比等のはあのとき(683~690)、まず、唐の高宗と、天武との軍事的全面対決を回避すべく、
則天武后とウノノササラとの間で画策して、両者を失脚させ無力化し(死に追いやり)、
さらに日本列島にいる各部族・豪族に大陸を諦めさせ、日本列島に篭りながらも国家として
一つになる自覚と、それが名誉であるという物語の創出でした。
しかし、そうやって作った物語が、こんな結果を生んでしまった、と。
「イノチの通い合う、あたらしい物語を作れ」と、強く後を押されたように、感じました。
以下、転載します。
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<原発事故は、日本人の知が一つのモードの中に閉じ込められていたことを開示する>
       投稿者:ウエダ 投稿日:2011年 5月 1日(日)12時04分20秒 編集済
こんにちは、皆さん、植田です。
 20世紀に原子力の知識・技術が発展し、原子「力」を解放したことは、人類に共通に出来事で
した。といっても、自然科学を推進したのは、主として西洋文明圏の人たちでした。
で、若き中曽根康弘氏が、1953年にハーバード大でキッシンジャーのセミナーを受けた時、
西洋諸国での原子力政策を知って、焦りました。日本にもすぐに導入しないと、日本が遅れる、と。
 中曽根氏の焦りから、そしてCIAのエージェントとなった正力松太郎氏の事業欲から、日本で
原発政策がスタートします。1955年のことでした。12月に原子力基本法が成立しました。
 私たちの視点からは、それはこういう疑問になります。
律令理性人の社会に原発が導入されると、どうなるかという問題が、そこから始まった、と。
で、自然科学的には、知識も、技術も、明治以来の伝統となった西洋からの輸入でした。
今でも続いています、プルサーマル用の「MOX燃料」の生成をイギリスとフランスに依存する、と。
 これを見て、日本の原子力学者は何をやっているのか、となるわけですが、それゆえに、中曽根
康弘氏は、先にカネで推進しました。アカデミズムの同意を待つことなく、さっさと国家予算を計上
してしまえ、と。
 国家プロジェクトが立ち上がると、それからアカデミズムが動員されます。
 国立大学の原子力工学科。原発推進上のアカデミズムの牙城です。
1968年に東北大学の原子力工学科に入学した時、小出裕章氏は、原子力の未来に大きな夢を
抱いていました。
1970年、たちまち、幻滅しました。
理由は単純でした。推進派が言うように、本当に原発が安全であるなら、なぜ女川ではなく、
 仙台に建てないのか?
 だから、原発が女川に建設されるということは、原発は安全ではないとの立証である、と小出氏
は考えました。「大学の研究室で教授と論争すると、勝つのはいつも自分だった」、と言います。
 
それは当然でしょう。その立場が学生であれ、教授であれ、自然科学上の事実としては、原発は
稼働すれば放射性物質を産出し、それは危険であることは、自明です。誰に対しても放射能は公平
に作用します。
 
その事実を受け入れられないのが、教授たちでした。 なぜなら、国策として推進される原子力科
の学問の場に身を置く者として、原発推進に異を唱えることはできないから。
 
だから、原発は安全である、と原子力学者は言うしかありませんでした。
「妻や子供のために」=異論を唱えて、職を失いたくない、と。
それから40年。
福島原発に事故が起きて、神保哲夫氏と、宮台真司氏が京大原子炉実験所に小出氏を訪れました。
小出氏へのインタビューです。
 
さきほど、少しばかり紹介しましたが、このインタビューは大変面白いです。
「原発が律令理性人の社会の中に導入されると、どうなるのか?」 の視点にとって。
私が見るところ、日本人の知は、はたして原発を管理できるのか、という問題を提起します。
宮台氏は東大卒の人です。
小出氏は、東北大で原子力を学び、1974年に京大に移り、現在に至っている人です。
京大に移ってから、ずっと助教(授)の肩書です。
この両者の学歴ゆえか、宮台氏がざっくばらんに自分の疑問をストレートに小出氏に語りました。
日本の学者は、なぜ真理性を通すことができないのか?
そう、この宮台氏の疑問が、福島原発事故以後、日本人の全員に不思議となっている事態です。
なぜ私たちは政府の発表を信じることが出来ないのか?
ここに、原発事故が明らかにした日本人の知の問題があります。
日本人の知は、権力から離れて自立できない構造になっている、という問題です。
ゆえに、学者の発表は、ことごとく原発推進者の立場からなされることになる、と。
それはなぜか?
これは律令理性論の核心の問題です。
はたして日本人の知は、これまで一度として、体制(時の権力)とは別に、それ自身で自立して
存在したことがあるのか? あるいは、そのような知の存在を、思い浮かべたことがあるのか?
もしかして、この問題が解けない限り、日本で原発は止まらないのではないか?
逆にいえば、この問題さえ解ければ、簡単に止まるのではないのか?
つまり、小出氏が説明するように、原発の危険性が周知されれば、たちどころに原発は止まる、と。
この周知を妨げているのが、アカデミズムの知の体系であり、原発事故を報道するメディアの
姿勢である、と。 メディアは、これまた、推進派のマネーに依存する情報産業でしかないから。
というわけで、原発推進問題は、脱原発派にとっては、従来「出口なし」の問題でした。
 福島事故以後、どうやら状況が大きく変わっています。
原発はその事故によって、日本人に原発事故がいかなるものかを「周知」させつつあります。
あとは、日本人の知が、その事実に、いつ、追いつくか、です。
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この記事を書いた人

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。