本日は、市ヶ谷で、皆神塾です。
人類世界の主流が、切り替わったこと。
それが、日本にどう出てくるか? これが、これから、出てきます。
昨年来、世界的に話題の本に、『サピエンス全史』があります。
物語性を解説するのに、「共同主観」と言う言葉が使われます。
かつて、吉本隆明は、日本社会を、「共同幻想」と言いましたが、
実は人類の歴史は、誰かが思い込んだ「主観」を、「共同」にすることによって成り立ってきました。
しかし、今、現実に私たちの前に訪れている(現れている)のは、この「共同主観」の勝者による、
詐欺・虚偽・破壊・絶望・操作された希望の果てに生み出され、積み重ねられてきた、絶対的事実です。そこでも、まだ、「共同主観」が根強く、人間の意識のなかに、こびりつきながらはびこっています。それが、国家権力とマネー、さらに、「神」という概念です。
マネーが、共同主観によって生まれたものであるのに対し、
放射能は、人間の脳内の作用である、主観ではなく、絶対的事実です。
これは、
イエス・キリスト や 釈迦牟尼「ブッダ」 が、信仰対象として、共同主観によって作り出され、
イエス・インマヌエル や ゴータマ・シッダールタ が、実在の人間であったことと、と同じです。
そして、イエスの「磔刑」からの2000年間を 魚座の時代といい、信仰や宗教が、人類を引っ張りました。
それに対し、2012年年末から始まった時代を、なぜ、水瓶座の時代というのか?
これは、法王フランシスコが、「十字架に神はいない」と言った言葉に、よく表されます。
フランシスコは2年前、NYで、「私たちが蒔いた種を生長させるチカラが神である」と言いました。
ここから、世界人類の一体化が、現実に始まったのです。
それに対し、日本の場合、国家神道で信仰対象となる、皇祖神アマテラスは、上記のどちらなのでしょう?
そもそも、国家とは、異なる部族(個々に独自文化をもつ)を、一つにまとめるとき(「大きな家」つくり)に 生まれていますが、その起源は、巨大河川での
大規模の農業生産です。
「サピエンス全史」の著者は、農業こそ、「史上最大の詐欺」と言っています。
農業がどうやって誕生し、人間社会の生産と消費の関係に、何をもたらしたのか、を考えると、この認識になります。
この認識があると、日本列島での縄文時代を、正確に理解できます。
私は、今、新幹線の中です。本日のレジメは、本欄に挙げていませんが、
ITが普及し、AIまで進行する地球時代に入った今、日本の変革(政変、意識改革、産業改革、地域振興、教育改革、医療改革など)は、
すべて、魚座から、水瓶座への変換の中で、起きます。
こうした変化を、最もよく知るのは、これまでの意識の枠組み(「共同主観」)から離れて出ている人(「変わり者」、「老荘思想」、完全な自律・自立した人間) か、
それとも、これまでに、その「枠組み」を作り出し、政治力・経済力・メディアを総動員して、それを操作してきた人たち(簡単に言うと権力者)です。こっちは、イルミナティー、金融ワンワールドですね。
戦後、無謬性を誇った日本の官僚たちとは、実は、このどちらでもなく、ただ単に、島国で威張っていただけの人でしょう。基本的には、他者の知見を表面だけまねしたり、外国の知性の翻訳が得意で、何ら創造性を持たなかった人たちでした。森羅万象での真理に、きちんと向き合ってこなかった。
それゆえ、強い権力者がが出ると、すぐにヒラメになるしかないのに、経団連の社畜エリートを自分が指導すると息巻いていました。彼らが今の時代性を、きちんと掴んでいるかどうかは、きわめて疑わしい。
いや、分かっていても、これまでの、お受験での「優等生時代」が長すぎたのと、すでに得ている待遇を捨てられないため、新時代に対応した発想の芽がないために、その頭からは、「補助金配り」以外の施策が出てこないのでしょう。
個々の役人の中から、自分自身の一生を掛けてやり遂げたい仕事がある、というものを除いて、一旦、全員解雇して、日本国内のみならず、全世界を、個人(もしくは二人組)で、貧乏旅行させた方が、いい時代を創れるのではないでしょうか?
そうすれば、まず、くだらない経費(人件費・引き継ぎの事務費)がいらなくなるし、やりかけの仕事を平気で途中で放り出す(引き継がせる)こともなくなるでしょう。
その旅行のときには、絶対に国家から経費を出しちゃダメ。友人同窓親戚からカンパをもらえと突き放す。精一杯その場その場で、汗搔いて、出会う人との心に触れて助けてもらいながら、なんとか生き抜く、という現実の経験を積まないと、彼らは、未来を創れないのでは。
ボンボンからは、お仲間を優先するデンデンしか生まれなかった。
公務員志向の人間は、答えのある勉強は大好きなので、知識と見識だけなら、すぐに身につける。
しかし、彼らに、もっとも足りないのは、胆識。
自己存在と自己の尊厳を賭けて、きわめて高い倫理観(生き様)に支えられた、現実対応という、使命感の表出。
私の中では、これまでの「共同主観」崩壊の後に、如何に、日本社会を立ち直おらせるか、のイメージ創りが始まっています。
あとは、市ヶ谷で