「龍馬伝」完結。これと「篤姫」と合わせて考える。

同じく、NHKの大河ドラマが、取り上げた人物。
龍馬暗殺の真犯人は誰か?  そのときまで、篤姫は、何をしていたか?
「篤姫」は、薩摩藩の島津斉彬が、どうしても、将軍職に徳川慶喜をつかせるために、
第14代将軍に決まった家茂に、その使命をもって正室として薩摩から潜り込ませた女性。
篤姫を分家から本家に移し、さらに公家に養子に出して資格を整え、徳川家に入れた。
そして、その篤姫を影に陽に護っていたのが、西郷隆盛。
慶喜の将軍就任は、家茂の急死によりますが、これは、長州の高杉らが門司に上陸し、
小倉藩を攻める時でした。
連戦連勝の長州藩によって、小倉城がもちこたえられなくなるとき、幕府の命を受けた
熊本藩が加勢し、小倉に到着します。しかし、長州軍に対し総攻撃するその直前に、
江戸にいる将軍家茂死去の知らせが入り、攻撃せずにそのまま引き返してしまいます。
これを知って小倉藩は自ら城に火をかけます。これで、長州軍の大勝利となりました。
 
つまり、将軍慶喜の誕生と、薩摩と裏で繋がった長州藩の勝利とは、同時に起きています。
この二つの事件の背後にいたのが、薩摩の西郷と、勝海舟の弟子の龍馬です。
慶喜は息子(精くわし)を勝の養子にして、大政奉還の時、勝の発言権を強めています。
 
今回の「龍馬伝」では、このことに、全く触れられないままでした。
そして「大政奉還」後は、慶喜が信任する勝と西郷は、直接、交渉できるようになりました。
さて、そのときに邪魔になるのは誰でしょう。
ちなみに「大政奉還」後、すぐに自分の城を焼いた藩は、筑後川の河口にある柳川藩。
それよりも、そもそも何が目的で、島津斉彬は、篤姫を徳川に嫁入させたのか?
何で、薩摩にとって、最後の将軍には、慶喜でなければならなかったのか?
薩摩にとって、慶喜とは、どういう存在であったのか?
慶喜は水戸藩徳川斉昭の息子で一ツ橋家に養子に入っていましたが、
実家の水戸藩は、第5代の綱吉の時代から「大日本史」の編集を始めていました。
これは黄門様の水戸光圀の指示で、光圀の「圀」の字は則天武后がつくった文字。
光圀が保護せよといった石碑には、「那須国造碑」があります。
NHKの大河ドラマは国民に対する 歴史教育の場ですが、
しかし、けっして真実は明かさない。

講演会に参加しませんか?

講演会(皆神塾)を毎月開催しております。時事問題から、歴史、経済、宗教等々様々な分野についてお話します。
Youtubeやブログで新井を知ったという初めての方でも大歓迎です。最新の講演会については下記バナーよりお申し込みください。


ぬなとショップおすすめ商品

『瓊音倶楽部』『皆神塾』のご案内

何のために、私たちはこの世に存在するのか?
この問いは、6000年前に文明が始まった時から続いています。
瓊音倶楽部では、この問いに対して、人体(機能)と心(魂)からなる「人間」を見つめます。
人類は、文明を生み出しましたが、それによって生きている人間の喜びが、つぶされては意味がありません。
どんなに喜び、生きるのか?私たちは、皆さんと一緒になって考えていきます。(注)「瓊音」とは、全てのイノチのヒビキのことです。

『皆神塾』:文明アナリスト・新井信介を中心に、隔月で開催する勉強会です。時事問題から、歴史、経済、宗教等々様々な分野の問題を解き明かしていきます。

(注)『皆神塾』は隔月で開催しており、講演内容はDVDに収録して販売しております。
詳細については「瓊音ショップ」をご覧ください。

『瓊音倶楽部』:会員制(有料)で、毎月1回情報誌をお届けしています。
「皆神塾」や「ブログ」などでは、お伝えできないようなオフレコ情を含めて、「明確で強いメッセージ」を会員限定でお届けしています。

また、月次でレポートをお届けするだけではなく、様々な特典がございます。詳細については、以下の「瓊音倶楽部のご案内」(PDFファイル)をご覧ください。
》瓊音倶楽部のご案内(PDFファイル)

「皆神塾」「瓊音倶楽部」についてご興味のある方、ご不明な点がございましたら、下記問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください。
》お問い合わせ

この記事を書いた人

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。