国家と文化と経済発展。

 こんにちは。 
1) 17日の日曜日、久しぶりに、田中神社に行きました。
  女性の宮司さんが結婚され、可愛い男の跡継ぎが誕生し、とても楽しい一日でした。
 このブログを観ていていた人が、静岡や浜松、西宮、藤井寺などから参拝に来ており、
 素敵な出会いもありました。
 下鴨地域に住む方も来られており、この日の昼ご飯は、出町にある漬物屋さんが開いた
 レストランでとりました。
 午後は、ジャパネスクです。
2)  「祇園精舎の秘密」 と題して、 縄文時代からの日本の精神性を話しました。
  
 あっという間の3時間。
 祇園とは、SION です。
 これは、BC1007年にベニヤミン族のサウル王が、 エルサレムにある丘で、
 王国建設を宣言した場所を意味します。  それが、 「SIONの丘」。
 これは、ヘブライ語でも、英語でも、ドイツ語でも、その発音は濁音のジーオンですが、
 明治のときに日本のみが清音「シオン」とし、ときに漢字で「紫音」「紫園」と書きました。
 ヘブライと日本文化の関連を、一般人に分からないように消したのです。
 問題は、日本列島に、その「SION」が、どうして、いつ、どのようにして入ったのか?
 このサウル王が作った古代イスラエル国は、ダビデ王(ユダ族)が引き継ぎます。
 その息子ソロモンのときに、エルサレムのSION(ジーオン)に宮殿が造られます。
 その後は、 YHWHの扱い を巡って、イスラエル王国は南北に分裂。
 さらに、北は、アッシリアに、  南は、新バビロニアに、それぞれ征服され、
 南ユダ国のエルサレム(平安京)にあったソロモン宮殿は破壊放置されます。
 復活するのは、アケメネス朝ペルシャのキュロスⅡによって、バビロンにいた
 南ユダ国のユダヤ人(ユダ族とベニヤミン族)が、解放された後です。
 バビロンで捕囚を受けていたとき、ユダヤ人はずっとエルサレムを思い続けていました。
 ユーフラティス川に沈む夕日の先に、「SION」の運命を感じていたのです。
 その後、このエルサレム宮殿は、ローマからカナンの地の統治権を認証された
 ヘロデ王(ユダヤ人ではない)によって、宮殿から要塞にまで増築されていきます。
 そのとき、このエルサレム、なかでもSIONが消えてしまうと嘆いた人間がイエスでした。
 イエスの本名は、イエス・インマヌエル。
 インマヌエルは、「神とともにある」の意味で、常に、神(創造神・普遍存在)を
 感じて生きていた人でした。
3) ユダヤ人とは、何か?  その定義は? 
  大きく分けて、 「血統」 と 「信仰」  があります。
  ヘブライ人は、皆、農耕民でしたが、 その中で、ユダヤ人とは、
  エルサレムでYHWHを神として生きた、南ユダ国の関係者か、
  それとも、 信仰上で、ユダヤ教を信奉する人間なのか、 の意味です。
  (ちなみに、分裂後の北イスラエル国の人間は、サマリア人と総称されました。)
  さらに、ユダ族にはイエスの生きたころには、すでに、3つの生き方があったようです。
 一つは、パリサイ派。
     旧約聖書(モーゼ五書・トーラー)を解釈し、戒律を決め、それそって生きる。
  
 二つ目は、 サドカイ派。
     他の部族、そして、ヘブライジン以外にも、このYHWH信仰の人間を増やそうとする。
 三つ目は、エッセネ派。
     心の中に「主(アドナイ)」を持ち、そのヒビキを感じながら毎日を祈りとともに生きる。
 それに対し、 ユダヤ教徒とは、主に、ヘブライ人以外の人間で、
   499年に、「タルムード」が編纂されてから、進んでユダヤ人になった人のことです。
  
 私たちにとって、もっとも難しいのは、
  イエスが死んだ後に、 もともと生粋のユダヤ人イエスの存在を、ユダヤ人たちが、
 ユダヤ人やヘブライの他の部族のみならず、すべての人間にとっての救世主(キリスト)
 だと、認識しだしたことです。
 その代表者が、サウロ(パウロ)でした。
 「救世主」という点で言えば、 ユダヤ人が、最初に救世主と認識したのは、
  バビロンの捕囚を解放したキュロスⅡでした。
 イエスの死は、ユダヤ人の中に、イエスを救世主とするユダヤ教ナザレ派を生み、
 ここでは、イエスの意味を、ユダヤ人を超えて「万人にとっての救世主」 とは認めたものの、
 彼の存在を、 「人間であるのか?」 、「 神であるのか?」  それとも、
 彼を救世主にした、「霊的存在であるのか?」 などなど、 多くの意見が出てきました。
  
 さらに、このあと、ローマ皇帝ネロは、ユダヤ人との戦いに6万人の兵士の派遣を決め、
 マサダ要塞が陥落します。
 ユダヤ人、そして、イエスを救世主とするユダヤ教ナザレ派は、以後、ローマ帝国の
 弾圧を受け地下に入り、イエスのことは、主として、「サカナ」として隠喩されていきます。
 これがヘレニズムの精神土壌に浸透し、ユダヤ人以外に、この信仰が広がりました。
 これを、「原始キリスト教」と呼ぶことがあります。
 イエスが「十字架」とともに、ローマ世界で浮上するのは、4世紀に入ってからのことです。
 しかし、ローマ人が、イエスを、「生まれながらの神」と、政治的に決定したとき、
 (これが、キリスト教の誕生ですが)、今度は、ユダヤ人全体が、嫌われ始めます。
 ユダヤ人にとって、イエスとは、あくまでも、神の言葉を話す「預言者」だったのです。
 ローマ帝国では、「神となったイエス」を、統治にどんどん利用します。 統治の手段で、
 最強のものは、暴力ですが、これを行使するときの理由付けに、「神」が利用されます。
 イエスに関し、 自分こそが、その「万人の救世主である、《神の子》イエス」の、
 その「唯一の代理人」と名乗りだしたのが、ローマ法王です。これは、495年のことです。
 
 これが、現在まで、続いています。
 さて、イエスの死(AD30)から、このローマ法王の正式の誕生までに、
 私たちが住む日本列島では、何があったのでしょう。
 聖徳太子は、書紀によれば、574年に生まれ、厩戸皇子とよばれました。
 そのまえに、何か、イエスを、彷彿させるものが日本には、あるでしょうか?
 
 もちろん、あります。
 そこでは、常に、中国皇帝の権威 に 対抗する意識が、貫かれていました。
 17日は、こんなことを話しました。
 是非、 猫屋さんに、申し込んでください。
4) ところで、 
 私が、国境を消していく政治哲学を考えるべき、としたことに、
 何人かの方から、異を唱えるメールが来ました。
 
 特に、文化が消える、という主張もありました。
 
  私の見方は、 日本文化の本質とは、実は極めて強い普遍性をもつもので、
 地球環境時代の現代こそ、世界人類に手本となるものだ、との理解です。
 どこの国に行っても、あるいは、私たちが暮らす地域に誰が入って来ても、
 この日本文化は、消えないし、それを消さない。かえって、真髄が出てくる。
 しかし、私たち自身が、この覚悟と、実践と、その方法論がないと、なんにも始まらない
 のは当然です。
 一方、今の日本の統治体制を見れば、日本は、不完全国家です。
 正確に言えば、 アメリカ合衆国の特別行政自治区 です。
 
 この不完全国家、あるいは、自治区ではあっても、私たちは、日本文化の守り手に
 なることができます。 それには、私たちの、強い、郷土愛が基盤であり、出発点です。 
 
 今の日本国家を、20世紀型の「普通の国民国家」に戻すとは、
 統治機能の核心である軍事力を、独自に起動できる状態を取り戻すことを意味し、
 それには、憲法改正が必要です。
 
 これには、統治の核心である国家暴力を、私たち日本人が、実際に、どう使うのか、
 誰が使うのか、それを使えるようにすることが現在のグローバル経済の中で、
 国民の幸福に、どういう影響をもたらすのか、真剣な議論が必要です。
 
 自民党時代は、こうした議論はあやふやなままでした。まず、日本の統治の実態に
 ついて、明確な認識がありませんでした。 
 戦後の日本という国家は、国家それ自体が、その統治の核心である「暴力」そのものを
 意識しない、意識させないまま、ただただ、生産活動に没頭してきた。それが日本です。
 まことに幸せな、情報空間に、私たちは、生きていたといっていいでしょう。
 しかし、今の急激な円高は、戦後覇権国のアメリカが主導した工業化が、この日本で
 完成した後に、世界中に拡散している状態を示すものです。
 今後、為替動向については、時間の進展具合は政治力の問題にもかかわりますが、
 60円に向かう流れは、止まりません。
 そこで、私たちは、将来を見据えて、覚悟を決めねばなりません。
 これまでの、大量生産による、工業化が終わっていること。
 私たちは、今、自分自身が、それぞれの立場で、何事であれ、新しい「価値の創造者」に
 ならなければならない事態に突入しているということ。
 
 これが、逃れられない、歴史潮流です。 時代精神 です。
 そして、イノチのヒビキ合いを最優先する、日本文化の本質を見極めることで、
 私たち日本人には誰もに、誰かに歓迎される価値を生み出す、大きな可能性がある
 ことが見えてきます。
 国家とは、統治体の一つの形態であり、どんどん、様態を変えていきます。
 しかし、私たちの日本文化は、この風土と、日本語とともにあります。
 国家でなく、日本文化から、どんどん新しい価値が、生まれてきます。
 国家とは、それを支援し、守り、育てる装置の一つです。
 今、日本文化を求め、育てようとしているのは、日本国家だけではないのです。
 円高時代は、私たちの日常の普通の生活が、大きな価値を持っていることを意味し、
 私たちが、地球の主役になれる時代になったことを暗示しているのです。
 今ある、目の前に広がる、経営資源を、徹底的に使い切ること。
 これには、国家とか企業の「枠」以外に、「地域」と「ネットワーク」があります。
 
 21世紀。 ありのままを冷静に見つめ、アタマを、柔らかく使おう。
 大切なのは、生きる実態に、同じ琴線で響きあう人と、嘘のない関係性を築き、
 整えること。  
 これのみのです。

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この記事を書いた人

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。