おはようございます。
大晦日になってしまいました。
今年は、家族を、8年暮らした宇治から引っ越して、
この郷里の中野に馴染ませるのを、最優先した年でした。
オヤジが87歳。 オフクロが82歳。
元気なうちに、孫たちと近くに暮らせる体制にして、
一つは、親孝行ができました。
広島生まれの妻には、本当に感謝しています。
ただ、自分の古代史が、上梓できないうちに、
日本では、 「政権交代」が進んでしまいました。
今の内閣は、 戦後体制の脱却内閣です。
次にどんな日本を作るか、まだ、設計図はないでしょう。
それは単に、日本国内の問題でなく、
地球全体での、 日本の位置づけが変更した中での、
新たな繁栄 のビジョンであるからです。
ここで、お知らせが、3つ。
①正月は、 妻の実家の広島に行きます。
3日は朝に、宮島で、<舞楽>をみたあと、
11時に、広島駅南のパン屋アンデルセンで、
向井田さんたちと、会います。
② 来年は、
1月23日に、京都、
24日に、大阪
30日に、東京 で、 講演会です。
③ 昨日、30日の ある会話 です。
宅急便を運んできてくれた、担当の人から、
届け先の私の名前に、「新井信介先生」とあったので、
一体、何の先生ですか? と尋ねられました。
そこで、
「時事解説したり、町おこしのアイデアを出したり、
ここ中野では、古代史を調べて、講座を持ったりしています」
というと、
「古代史って、 いつのころですか?
自分もとても興味があるんです。」
「だいたい、縄文から、伊勢神宮が出来まで。
特に、弥生から古墳時代で、天皇が、どうやってできたかです。」
「それなら、面白い。いろいろ教えてください。
自分は、夜間瀬の生まれですが、子供のとき、
ヒスイの塊を、よく、畑や崖のところで、見つけました。
付近には、 卑弥呼の娘のトヨを祀った神社があります」
「ええっ、そうなんですか。
こちらこそ。そのヒスイの出たところを、案内してください。
それは、糸魚川の姫川のものに違いありません。
この地域が、 縄文~弥生~古墳からずっと、連続して栄え、
仏教が伝来する、 継体天皇~聖徳太子 の時代の
もっとも重要なところです。
私は、物証を探しているのです。」
「先生、そんなら、近いうちに、是非、一杯、どうですか?」
「そうですね。来年、広島から帰ったら、早い時期に会いましょう」
>>> 中野に、ヒスイの塊。
これだけでも、私は、ワクワクです。
これで、来年の楽しみがまた増えました。
ヒスイの勾玉。
ヌナカワ姫が、伝えた、微細な生命振動。
皆さん、 よい お年を!!
大晦日。宅急便。ヒスイ。
いいね ♡ 0
この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。