アニメのコスプレショーに、政党として、こうした展示を許す(進んでさせる)知性・神経・判断力。
頭が劣化し、完全に狂いだしているぞ、自民党。
植田信氏は、こうした自民党(なかでも、靖国神社を進んで参拝する議員)に対し、以下のように解説します。
http://8706.teacup.com/uedam/bbs
「なんでこの人たちは、靖国神社がそんなに好きなのだろうか、と、ふと、疑問に浮かんできました。
A級戦犯が合祀されてから、昭和天皇が参拝をやめてしまったのに、そして平成天皇も一度も参拝していないのに、なぜ一部の国会議員は、そんなにここが好きなのか?
そこで、「国家理性」を求める国会議員たちのアイデンティティーが、靖国神社にスライドしました。
国のために死んでいった日本人たち、今は英霊となった本物の日本人の愛国心がそこにある、と。
「なんでこの人たちは、靖国神社がそんなに好きなのだろうか、と、ふと、疑問に浮かんできました。
A級戦犯が合祀されてから、昭和天皇が参拝をやめてしまったのに、そして平成天皇も一度も参拝していないのに、なぜ一部の国会議員は、そんなにここが好きなのか?
彼らの参拝そのものは、私にはまったく関心がないのですが、ふと、答えが浮かんできました。
題して、「靖国神社を参拝せざるを得ない国会議員たちの論理と心理」。
こういう疑問の形にすると、俄然と彼らの行動が興味深いものになります。
日本人の精神構造、という一般的な問題になるからです。
で、答え。
国会議員という立場からは、今では、そこにしか、自分のアイデンティティーを見い出しえないため、と。
これが戦前であれば、天皇バンザイ、と口にすれば、それが日本人としてのアイデンティティーでした。それが保証されました。
このことが、石原慎太郎の自伝(『国家なる幻影』だったかな)のなかに、鮮やかに綴られています。彼は、戦後にあって、「天皇バンザイ」を演出しました。
何かの儀式の折に、突発的(演出されたのですが)に叫ばれた「天皇陛下、バンザイ」に、昭和天皇が退席する足を止めて、応えられた、ということです。
それも今や昔です。
いまの平成天皇は、現人神だったことは、父親と違い、一度もありません。
だから、戦後世代は、今生天皇に、何の幻想も持っていません。
そこで、「国家理性」を求める国会議員たちのアイデンティティーが、靖国神社にスライドしました。
国のために死んでいった日本人たち、今は英霊となった本物の日本人の愛国心がそこにある、と。
だから、私は、それをガラパゴスと呼んでいます。
死者の霊にアイデンティティーを求めること、これが、ラフカディオ・ハーンが驚愕し、そして愛した「明治の日本人のガラパゴス」でした。「今でも、日本人は、祖先崇拝の信仰を保持している」と。「西洋では、紀元前6世紀に終わったのに。」
それが、律令理性です。」
自分の理性にアイデンティティーを置くこと、これが自然理性ですが、日本人がそうなるのは、いつのことやら。
それが、律令理性です。」
・・・・・・・・(抜粋おわり)・・・・・
「天皇」を口にすれば、国家からカネを自分のところ(個人と支持者)に持ってこれる、一般国民は、そのための駒(納税と労力)に使える。
明治にできたピラミッド構造での既得権益保持者は、こんな理性しかないのです。
しかも、このとき、冷静に現実をみない。きちんと対処しない。責任をとらない。
このままでは、ほんとうに、とんでもないことになります。すでになっていますが。
"天”は、どんなレベルの「冷や水」を、かけることになるのでしょうか。