こんにちは。
1)茨城県知事選挙 野党は共産のみで、これは、自民党内の利権構造継承選挙だった。
自民の策士達は、安倍自民の人気急落の中、多選の現職知事と、保守系の新人という図式にした。現職さんの立候補は、選挙の「話題そらし」であり、自民党の地盤を維持するために、あえて出たのでしょう。
一方、この時期に民進党は党首選挙。初めから自民党を助けることばかり。民進党は、完全に、自民の補完勢力。自民党は、とにかく、「勝ち」という「結果」がほしかったということ。
茨城は、日立のお膝元。日立は鉄道事業で、日本の名誉を担っています。筑波には、学園都市。
2)自民党内に、反安倍の研究会。25日に、「明日の日本を考える会」が発足。
面白いのは、反安倍だった野田聖子氏の総務大臣就任を見て、「安倍に立てついていた方が閣僚になれる」と自民党の国会議員がいいだしたこと。そして、この中に、高市早苗氏の夫だった、山本拓氏がいた。二人は、内閣改造の直前に別れていましたね。
1)を合わせ、「自民党体制」だけは守り抜くと言うことなのでしょう。 これは、利権の分配の権利のことですね。ここと、本気で、野党は、戦う気があるのか、ということ。
3)不思議に思って、調べていること。
安倍晋三の父親は、言わずと知れた安倍晋太郎です。私は1989年春、最後の朝鮮国の王子だった李銀殿下が住んでいた赤坂プリンスホテルの旧館を探索に行ったことがあります。すでに昭和天皇が崩御した後でした。このとき、米軍の司令官が結構気合いの入った顔でお付きと共に、赤プリのオフィス棟に事務所を構える、安倍晋太郎を訪ねるところに出くわしました。晋太郎本人の表情や米軍の軍人たちの姿には、ただならぬ気配があったのを覚えています。中国で胡耀邦総書記が死んで、天安門にデモが起き始めていた時期でした。
安倍晋太郎は当時は外相で、その二年後1991年にガンで亡くなるのですが、その直前まで、次期首相として日米共に認知されていたようです。なぜ、ガンになったのか? これには、チェルノブイリ視察説があります。
私は2004年秋に知り合ったイカヅチさん本人から翌年「安倍晋太郎が亡くなったとき、妻の洋子さんに、必ず、あなたの息子を総理にします、と約束した」と聞いていたので、2006年に、小泉純一郎のあとに総理大臣になったときには、なるほどね、と思ったものでした。安倍晋三は小泉内閣ではいきなり幹事長に大抜擢され、2002年からの拉致被害者問題で声を上げ、メディアはそれを政治実績ととして大いに持ち上げました。
4)なぜ、「晋太郎」に、「晋三」? 晋は、司馬懿の孫の司馬炎が建てた国だったが。
安倍晋太郎の名前のことです。この人の父親は、安倍寛(かん)で、人間個人の尊厳をとても大事にする人でした。あの岸信介が、あいつならばいいだろうとして娘の洋子を嫁がせた。それが、今のビッグママの洋子さんです。でも、なんで、安倍寛は、自分の息子に、晋太郎の名前をつけたのか?
安倍晋太郎は、自分の長男には、自分の父の名である「寛」と、岸信介の「信」をと��%