本ブログの閲覧者の中には、私の意見に、不快感を感じる方もいるかもしれません。
私は、今年の渋谷での「ハロウィーン」騒ぎを見ていると(これは、映像だけの印象ですが)、
いやな予感(乾いた空虚さ)が漂ってきて、悲しくなってきます。
日本にも、「バカ騒ぎ」としては、秋祭りの酒席での「無礼講」が、あったのですが、
これは、自然のなかで、労働の成果としての実(みのり)を得た、喜びの祭りでもありました。
しかし、今回の渋谷での騒ぎは、人工的な仮想空間に、自分を浸らせ遊ばせているだけに思えます。
御柱や、祇園祭、山笠、ダンジリなどとは、全く違います。
生命感がありません。
「ハロウィーン」の起源と、本来の意味について、カレイドスコープさんが書いています。
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-3160.html
私は、アマタリシヒコが出てくる「隋書倭国伝」と、ほぼ同じ時代に書かれた、「推背図」を知っているだけに、どうしても、日本の近未来には、もう一回、大きなショックがあると考えています。
すでに、今、その中にいます。
そして、この「ハロウィーン」の騒ぎにあわせて、日銀の黒田総裁は、バズーカの第二段を打ちました。すでに、アメリカでは、量的緩和を止めたばかりで、ここで、さらなる円安に誘導です。どこに向っていくのか?
たんなる、漂流ではないでしょう。
私は、イノチの現場を離れたバカ騒ぎは、悪魔が喜ぶだけだと思っています。 (私の理解では、悪魔は、間違いなく、実在します。どう折り合いをつけるか、真剣になっていないと、とんでもない事態になります。 すでに、放射能や、不正選挙 が野放しになったままなのです。)
人には、それぞれの生き方、そして、運命があるのでしょう。 他人のことは言えません。
私は、イノチの大元と繋がったリアリティーが響き合う空間で、日本文化の源流からの流れを味わっていたい。
16日の東京皆神塾のテーマを、いま、考えています。 希望に満ちたものにしたい。