1) 昨夜の中秋、 姨捨山(おばすてやま)に行きました。
姨捨は、善光寺平の南です。妻が、おにぎりを作って家族で向かいました。
途中、何回か、車窓から満月を確認したのですが、到着した午後7時ごろ、
厚い鱗状の雲が空にすっかり広がっていて、月光が見えなかった。
しかし、おにぎりを食べながら、しばらく待つと、 鱗のすき間から、
中秋の満月が、数秒、顔をだしては、すぐ消えました。
これは、数分ごとに、繰り返されました。
ここには棚田があり、月を映す名勝地 「多毎の月」として有名なところですが、
もう稲刈りも済んでいて、 棚田には、当然、水はありません。
地元のカメラマンに尋ねると、棚田に月が映るのは、水を張った4月か5月の、
明け方に上がる月 のときに 現れる と知りました。
この姨捨山から見て朝日があがる方向にあるのは、
長野県最大の前方後円墳の森将軍塚古墳です。
4世紀中ごろに造られた、明らかに関西の倭国政権の関係者の墓です。
で、 一方、 ここは、姨捨。
棄老伝説が、全国的に有名ですが、
この「姨捨」の 「姨(おば)」の字が、 気になりました。
「女」 に 「夷」 です。
平安時代から、「京女 に 東男(あづまおとこ)」 とよく言われますが、
このときの東男は、 都の雅や粋が分からない 粗野なものだと、
東夷(あずまえびす) といわれました。
この概念は、 実は、中国の中華思想から来ています。
中国での、 中華の文明(皇帝の権威)に組しない野蛮人をさす言葉に、
東夷 南蛮 北テキ 西戎 があります。
日本列島は、中華皇帝にとって、常に、東夷の地でした。
また、3世紀中頃に、列島に中華皇帝が認定した倭国政権ができたときには、
美濃より東は、 倭国内での、 <東夷> でした。
千曲川を渡ったところにある森将軍塚は、高台の上にあり、
そこからは、北側に、善光寺を一望できます。
その善光寺平の一番北にあるのが、私の住む中野市です。
この両者の位置を考えたとき、この「姨捨」に、
単なる棄老伝説とは別の物語が見えてきました。
それは、飛鳥時代以前に、シナノに生まれた武人が、大和の朝廷に重用され、
手柄を立て都から、新しい嫁をもらったところ、その嫁が、夫の育ての親であった
伯母の老婆を疎んじがり、山に置き去りにした故事に よっているのではないのか?
この姨捨山は別名を 冠着(かむりき)山 といいます。
これは、冠位を得たという意味で、明らかに、一族の誉れを意味するものです。
嫁にせがまれ、息子は、「今夜の月はとてもきれいで、それを見せるから」といって、
老婆を負ぶって山に連れ出し、そこに置いてきましたが、
彼女との日々が思い出され、心が切なくなってどうしようもなくなって、
連れ戻そうと、その場に行ってみると、老婆は、石になっていた。
世阿弥は、 これを、能の 演目の 「姨捨」に 仕立ています。
私は、この老婆は、すべて、お見通しであったと思います。
自分が育てた義理の息子が手柄を立てて、出世したことを心から喜び、
美しい嫁を得たことで、あとは、息子たちの弥栄が心からの願いだったでしょう。
「美しい月を見に行く」
こういわれたとき、 老婆は、月の光と 自分の心がつながって、
大自然の永遠の命の中に帰っていくことを、心に決めていたのではないでしょうか。
私は、宇治にある宇治上神社の悲劇と同じ、透明感のある響きを感じました。
応神天皇の末子ウジノワキノイラツコ の最後の場面に流れた空気と、
この姨捨の棚田での空気が同じもののように、感じられてなりませんでした。
2) 中国の温家宝首相が、 北朝鮮入り。
金正日 が、空港まで出迎え。
中国が促すのは、
6っ国協議に戻ること、 核放棄を宣言すること。
「東アジア共同体」に賛成した、 日本 韓国 中国。
これまで、分裂をあおってきたのは、 アメリカでした。
1990年以後、最後の分裂の種は、北朝鮮でした。
これが、解決します。
人類史の大きな潮流です。
3) 中川昭一 元財務大臣 の 死。
驚きました。
衆議院選挙で議席を失い、酒断ちして、再起を期していた、
と聞かされていたのですが。
この人は、今年2月、ローマで大失態をした人ですが、日本核武装論をもち、
東シナ海のガス田問題では、中国に対し、もっとも強硬派でもありました。
また、拉致被害者問題でも、北朝鮮への圧力を求めた人でした。
つまり、中川氏は、 「東アジア共同体」構想では、
もっとも遠いところにいた政治家でした。
自民党の嫌中派は、これで、総崩れになっていくでしょう。
これで、また、時代が、大きく進みます。
PS: 2016年のオリンピック。
リオデジャネイロ。 私は、当然の決定と 思います。
4年前に、当時の小泉首相や石原都知事と親交のある人間から、
「もう、東京で決まっている」と聞かされ、
「ほんとうかいな?」 と感じていました。
東京都民には、 無理して呼ばなくっても、と、
熱狂的になれなかった人が多かったでしょう。
巨額の損を出した銀行問題で、何ら責任を取れない知事に、
心が離れた都民も多いでしょう。
それよりも、 リオの人たちと、 熱狂を分かち合いたい、
とするくらい、私たちは、今、
地球規模の視野 と 懐 を持っているのではないでしょうか?
「姨捨」の真意。中朝トップ会談。中川元大臣の死。
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。