こんにちは。
昨日は、中野市博物館で、柳沢遺跡に関する講演会に行ってきました。
青銅器と弥生時代の関係です。講師は、大阪府立狭山池博物館の館長でした。
日本で、銅鐸と銅戈(または銅矛)が、一緒に出土した例は、神戸、和歌山、とこの柳沢遺跡の3例しかなく、
ここがもっとも古く(紀元前2世紀末)、しかも、大規模稲作農業の中心ではないことが特徴です。
極めて、儀式的性格が強いとのことでした。 5器でた銅鐸は大きさは20センチほどで音を出す銅鐸です。
大量の銅鐸が発見された、島根の加茂岩倉・荒神谷遺跡は、3世紀中ごろのものです。
その前の、関西で多く出土する大型銅鐸(見る銅鐸)は、ほとんどが、紀元後2世紀のものです。
柳沢遺跡では銅鐸銅戈の出土地の隣に、礫床木棺墓があり、翡翠の勾玉を胸に下げてた王が埋葬されていました。以後、数例、同じ様式の墓が出ています。
このシナノの王が、どこまでの支配領域を持った王なのか、が問題です。
普通の考古学者は北信濃だけに限定して考えてしまいますが、埋納されていた銅戈には、大阪湾型に加え、九州型(上から3つ目)もあるのです。
同時代に、これほど見事な王墓(祭祀埋納)はなく、間違いなく、日本列島で初めての王権成立を意味します。縄文からの連続性、そして、古墳時代におけるシナノの特色も十分に説明できます。(ここまで言い切れるのは、今のところ私のみですが)。
さて、一週間後の10日に、私の話だけを聞きたいという方がいましたので、ご案内します。
16:00から1800までの二時間です。 ワンドリンク付で、2500円です。
事前に申し込んでください。 新井 090-9370-5740