大発見。
というより、判っていながら、いままで出さなかったんだろうな。
曹操と日本国天皇の関係。
魏史倭人伝の原文に書かれている、卑弥呼の帯方郡への使者派遣の年「景初2年(238年)」を、日本の歴史学会は、なぜ、わざわざ、「景初3年(239)」として、理解して、それを、国家の権威にしてきたか? 「景初2年である」としたときの意味が分かるもの、あるいは、本当の真実を知っているものがいても、列島民を、蒙昧なままに置いておきたいために、あえて、日本書紀の記載(神功皇后の条)どおりに「景初3年」として、教育の現場で強制してきたのでしょうね。
この状態を、ようやく、中国側の研究者が、日本国の歴史「改竄」を解き始めましたね。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190908-00000006-asahi-soci
これによって、日本列島で実在したハツクニシラス、初代王権の成立者、第10代の崇神(ミマキイリヒコイニエ)が、公孫淵である可能性が生まれます。
これは、新井説です。
私は、これを2005年に歴史系図の第一番に書き、そのとき、金井敏伯氏に渡しました。
そのとき、金井氏からは、「縄文からの連続性を調べよ」と課題を言い渡され、その課題は、2008年に解いて、以後、より大きな全体像の構築を進めてきました。
ここからは、アメノミナカヌシから始まる日本神話と、地球史の中の歴史事実のすり合わせ作業です。
なかでも、ダビデ~アレクサンダー~始皇帝~武帝~光武帝~曹操 と、列島の王権の関連性です。
それにしても、これは、ほんとうに嬉しいニュースだ。これで、列島民のファンタジーが終わる。
以下、転載
<曹操墓出土の鏡、大分の鏡と「酷似」 中国の研究者発表> 朝日新聞 9/8(日) 8:00配信
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190907001640.html?ref=yahoo
曹操高陵出土の鉄鏡。全面さびに覆われている=潘偉斌研究員の発表から
中国の三国志時代の英雄で、魏の礎を築いた曹操(155~220)。その墓から出土した鏡が、大分県日田市の古墳から戦前に出土したとされる重要文化財の鏡と「酷似」していることがわかった。
【写真】大分県日田市の古墳から戦前に出土したとされる重要文化財「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」=「国華」から
中国の河南省安陽市にある曹操の墓「曹操高陵」を発掘した河南省文物考古研究院の潘偉斌研究員が、東京国立博物館で開催中の「三国志」展(16日まで)に関連した学術交流団座談会で明らかにした。
2008年から行われた発掘で見つかったが鉄製でさびがひどく、文様などはよくわかっていなかった。同研究院でX線を使って調査したところ、表面に金で文様が象嵌(ぞうがん)され、貴石などもちりばめられていることがわかった。潘研究員は「日本の日田市で見つかったという鏡『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)』とほぼ同型式である可能性が高い」と話す。
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は、1933(昭和8)年に鉄道の線路工事の際に見つかったといわれ、考古学者の梅原末治によって63年に報告された。翌64年に重文に指定されている。邪馬台国の女王・卑弥呼に贈られたとみて、「邪馬台国九州説」を補強する材料の一つと考える研究者もいた。(編集委員・宮代栄一)