御製
「学舎(まなびや)にひびかふ子らの弾む声
さやけくあれとひたすら望む」。
に対し、早速の掲題の意見が寄せられました。
再掲します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新井先生
新天皇陛下の御製は、ペドフィリアからの脱却とともに、
明治以来の皇国ニッポンが推進してきた無思考なロボット
を量産する学校教育からの子供達の解放、受験や、
いじめ・規則で、がんじがらめの生き地獄の様な教育環境
の改善を強く望まれた陛下のお気持ちの表れだと思います。
m
人類社会の未来は、子供たちのために在ります。
明治維新以後の日本は、人間個人と国家の関係のところで、強度の
中央集権、身分としての雲上人を創り出すという統治システムだった。
列島の個人は、雲上人らの道具でした。
それで、いち早く、近代化でき、植民地にならなくて済んだ、という
考えの人間がまだいるようですが、本当にそうなのか?
この強烈な、国家体制の起動ソフトは、戦前はイギリス、戦後はアメリカ
に握られたままではないかの?
通底しているのは、一部の人間の利益の為に、国民を差し出すための
体制で、これは、基本的に、今も続いている。
令和の時代は、この認識が不可欠です。
この体制そのものも間違っていれば、それを運営する人間(為政者)
の「人間と国家に対する考え方」が、出発から間違っていた。
よって、私たちは、人間として生まれたことの意味、すなわち、幸福感
の在り方と、「統治」とは何かという問題から、見直しが必要です。
国家は、暴力装置であるがゆえに、個人の恣意で動かしてはならない。
まして、その統治システムを構成する個々人である国民は、
一部の人間のコマではない。
そのときの個人は、その尊厳に、優劣があってはならない。
この意味で、本来の統治体には、
「権限」はあっても、「身分」はあってはならない。
前者は、必ず責任を伴うが、後者は、責任から逃れる装置となる。
人間に等しく与えられた、想像と創造という、二つの能力を
何のために発揮させるのか?
この場合、「国家の名誉」は、どのようにして築かれるのか?
この基本からやり直し。
そして、子供たちに、安心して日々を暮らせる環境(物的な衣食住と、
未来について、心から自由に話せるトモダチの輪)を持たせること。
これを、最低限、大人が整えないと。
これが統治体の基本でしょう。
そのとき、本来、マネーの有無・多寡と関係なく、過ごさせる。
「生きる力」「生きる知恵」とは、何か?
一から考えましょう。