広田弘毅はどうしてA級戦犯として処刑されたのか? YahooにQ&Aがあります。広田は軍部に迎合して軍部大臣現役武官制を復活させた。

<広田弘毅が東京裁判で死刑になったのは、近衛文麿の身代わり
  ですか? だって戦争..>.

質問 ; aki********さん  2018/9/2312:09:47
広田弘毅が東京裁判で死刑になったのは、近衛文麿の身代わりですか?
だって戦争中に和平しようと頑張ってたのに、死刑にされたなんて
ヒドイです。連合国は近衛文麿を死刑にしようとしていたけど
逮捕前に自殺して逃げられた?ために、代わりに文官からだれか
一人A級戦犯を出さなければ格好がつかないので、広田弘毅が
犠牲の羊として選ばれたんでしょうか?

ベストアンサーに選ばれた回答
kou********さん   2018/9/2609:54:00
>戦争中に和平しようと頑張ってたのに

そういう事実はありません。いや、頑張った、とおっしゃるのであれば、
具体的に教えて下さい。私が知らないだけなのかも分かりませんから。

広田は軍部に迎合して軍部大臣現役武官制を復活し、軍部が国の政治・外交を牛耳る助けをしたり、アメリカ政府が日中戦争について仲介を申し出た時、「アメリカにして欲しい事は蒋介石に日本の言う事を聞け、と伝える事だけだ」と援助の申し出を拒否したり、清廉潔白な政治家からほど遠い男ですよ。

東京裁判で沈黙を貫いた、、、言うべき事が無かったのでしょうね。日中戦争を促進し、日本を太平洋戦争に導いた道筋を開いた国賊の一人です。

近衛文麿が一番責任がある??近衛も日本を崩壊に導いた国賊の一人ですが、対米戦争の決定に関しては近衛はまったく関与していません。それどころかアメリカと友好関係を構築しよう、と提案して東條にぶっ飛ばされ、内閣総辞職に追い込まれました。

近衛は結局は陸軍に担ぎ出され、陸軍に利用され、陸軍に放り出された哀れな男です。海軍すら抑え切れなかった陸軍の横暴を文民でお公家さんの政治家がコントロール出来るわけがありませんね。

それでも近衛は泥沼化した中国との戦争を終わらせようと自分なりに決意、蒋介石に会って直談判をしようとしましたが、陸軍に嗅ぎつかれ、つぶされてしまった。その後、腹心の宮崎龍介(滔天の息子)に密書を持たせて蒋介石に届けさせようとしましたが、これもまた陸軍に知られ、宮崎は渡航の為に神戸港で乗船したところを憲兵に捕まって長期間拘束されてしまいました。陸軍は戦争がしたくて仕方がなかったのですよ。

そして第三次近衛内閣では、山本五十六などの影響もあって近衛は平和路線の模索を始めていました。益々厳しくなる国際情勢の中で日本の針路を決めるにあたり、それを知っていた海軍大臣は「総理に一任します」、と。近衛、「私に任されたら中国からは撤退し、アメリカと友好関係を調整します」

これに激怒した東條英機陸軍大臣は「中国からは絶対に撤退しない。アメリカとは戦争だ!」と強烈な横やりを入れた。「総理は悲観的過ぎる」「日本に弱点があればアメリカにも弱点がある」、そして「人間たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」、と。

近衛応えて、「個人としてはそういう場合も一生に一度や二度あるかも知れないが、二千六百年の国体と一億の国民のことを考えるならば責任のある地位にある者として出来る事ではありません」

東條は「性格の違いですなあ」と笑ったそうです。「性格の違い」で国をつぶされてはかないませんね。

そして会議のあと、東條は近衛のところへ二度も使いを送り、「この件では陸軍はこれ以上話し合うつもりはない」とトドメを刺した。結局近衛は陸軍側と四度にわたり会談しましたが、陸軍の方針を変える事は出来なかった。この為に第三次近衛内閣は総辞職に追い込まれました。近衛が総辞職に際して天皇に出した上奏文には、軍事を外交に優先し平和努力を吹っ飛ばした陸軍に対する近衛の悔しさが溢れ出ています。

そして次期総理大臣には木戸幸一内大臣の強い推薦で東條英機が任命されました。近衛が内閣を放り出して東條に丸投げしたと言う人がいますがそれは大きな誤解です。

「東條でいいのかね」と心配する周囲に木戸は「オレに任せてくれ。東條ならアメリカと交渉出来る」、と。戦後、木戸は「あれは失敗だった」と言ったそうですが、国がつぶれ310万人の日本人が死んだあとでそんな事を言っても遅い。

東條が新総理になった事を聞いて、国の内外の多くの人が「ああ、これで日本は戦争だ」と思ったそうです。そしてその通りになりましたね。

東條は、天皇から「今までの経緯は白紙に戻し、米英との戦争は避けるように」と要望されたにも拘わらず、総理大臣・陸軍大臣として開戦を承認した。この罪の大きさを理解出来ない人が多いのは困ったものです。「アメリカとの交渉」はもちろん、東條が天皇の意を受けて開戦を防ぐ為に必死に努力をしたと言う記録はありません。なぜか?そんな事はしなかったからです。

なお、「東條としても、開戦の流れを止める事は出来なかった」と言う意見がありますが、その「流れ」を作った張本人は東條だったのですよ(笑)

そういう事で、近衛はそれなりに平和の努力もしました。もし自殺しないで東京裁判で裁かれていたらどんな判決が出たか、大いに興味のあるところです。

いいね 0

講演会に参加しませんか?

講演会(皆神塾)を毎月開催しております。時事問題から、歴史、経済、宗教等々様々な分野についてお話します。
Youtubeやブログで新井を知ったという初めての方でも大歓迎です。最新の講演会については下記バナーよりお申し込みください。


ぬなとショップおすすめ商品

『瓊音倶楽部』『皆神塾』のご案内

何のために、私たちはこの世に存在するのか?
この問いは、6000年前に文明が始まった時から続いています。
瓊音倶楽部では、この問いに対して、人体(機能)と心(魂)からなる「人間」を見つめます。
人類は、文明を生み出しましたが、それによって生きている人間の喜びが、つぶされては意味がありません。
どんなに喜び、生きるのか?私たちは、皆さんと一緒になって考えていきます。(注)「瓊音」とは、全てのイノチのヒビキのことです。

『皆神塾』:文明アナリスト・新井信介を中心に、隔月で開催する勉強会です。時事問題から、歴史、経済、宗教等々様々な分野の問題を解き明かしていきます。

(注)『皆神塾』は隔月で開催しており、講演内容はDVDに収録して販売しております。
詳細については「瓊音ショップ」をご覧ください。

『瓊音倶楽部』:会員制(有料)で、毎月1回情報誌をお届けしています。
「皆神塾」や「ブログ」などでは、お伝えできないようなオフレコ情を含めて、「明確で強いメッセージ」を会員限定でお届けしています。

また、月次でレポートをお届けするだけではなく、様々な特典がございます。詳細については、以下の「瓊音倶楽部のご案内」(PDFファイル)をご覧ください。
》瓊音倶楽部のご案内(PDFファイル)

「皆神塾」「瓊音倶楽部」についてご興味のある方、ご不明な点がございましたら、下記問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください。
》お問い合わせ

この記事を書いた人

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。