掲題は、週刊金曜日の取材に答えた、清洲山王宮日吉神社の神職56代の、三輪隆裕宮司の言葉です。
以下から、転載いたします。
http://mazeranmisogi.jugem.jp/
(転載開始)
日本の神社は朝鮮の被差別民の白丁がやっている!
神道は仏教思想が元で仏教修行僧が支えていた!
実は天皇も?撮影禁止の部分に本当の神道の歴史が!
國學院大學博物館 考古と神道で知る日本の文化・歴史より
神社本庁と日本会議を真っ向批判する現役宮司
神社本庁は日本会議と結びつきが強く、裏社会のエージェントという話も あるが真実は如何に。
以下リンク
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安倍政権ともつながりが深い日本最大の右派団体「日本会議」が、いま、出版・言論界で注目を浴びている。
最近目を引いたのが、「週刊金曜日」(金曜日)5月27日号の特集「日本会議とは何か」である。
同特集には、『証言 村上正邦』などで日本会議の成り立ちを記したジャーナリスト・魚住昭氏や、
一水会元代表の鈴木邦男氏、右派の歴史修正主義等を研究してきた能川元一氏などが寄稿しているのだが、
特に注目したのが、現役の神社宮司である三輪隆裕氏へのインタビュー記事だ。
三輪宮司は愛知県・清洲山王宮日吉神社の神職56代。
周知の通り、
全国約8万社の神社を統括する宗教法人「神社本庁」は日本会議と密接な関係にあり、
神社本庁統理や神宮代宮司らが顧問として日本会議の役員に名を連ねている。
だが、三輪宮司のインタビューを読むと、
神社界全体が日本会議の推し進める“戦前回帰”的な運動に賛同しているわけではない
ことが、はっきりとわかる。
三輪宮司は、冒頭から
“日本会議は「皇室と国民の強い絆」が「伝統」だと主張しているが” という
「週刊金曜日」の質問に対し、こう答えている。
「いや、それは『伝統』ではありません。
江戸時代にはごく一部の知識階級を除き、『京都に天皇様がおられる』ということを庶民が知っていたか、
はなはだ疑問です。
本来神社とは地域の平和と繁栄を祈るためのもので、
この日吉神社でいえば、江戸時代は氏神の地域と尾張国の繁栄を神様に祈願していました。
明治になって、日本という統一国家ができたので、その象徴として『天皇』を据えたのです」
(「週刊金曜日」より)
(中略)
さらに批判は神社本庁にも及ぶ。
三輪宮司は、国家神道が神道の歴史では極めて特殊 であることを
「今の神社本庁には理解できないのですね」と言い、 このように解説するのだ。
「戦後、占領軍の『神道指令』で国家神道は解体されました。
その後、神社は生き残るために宗教法人・神社本庁として再出発しますが、
当時の神道界のリーダーは、ほとんど明治時代に神主になった人だったため、
それ以前の本来の神道ではなく、明治政府が作った神道が『伝統』だと思ってしまった。
その感覚が、戦後70年経ってもまだ残っているのです」(「週刊金曜日」より)
(中略)
ようするに、神社界全体が、いや、たとえ神社本庁の傘下の神社であったとても、
決して日本会議らが企む明治復古的な改憲に諸手を上げて賛同しているわけではないのだろう。
むしろ、三輪宮司が「週刊金曜日」で解説しているように、
国家神道が“偽りの伝統”であることを熟知している宮司や職員の多くは、
安倍政権による改憲に内心危機感を覚えているのかもしれない。
だが、神社本庁は近年、個別の神社の人事に対して強権的な介入を繰り返す など
「傘下神社への締め付けを強化している」(全国紙社会部記者)との声も漏れ伝わってくる。
参院選後に安倍首相が着手するとみられる憲法改悪の前に、一人でも多くの神社関係者が日本会議、神社本庁に反旗を翻して欲しいが、残念ながらそう簡単にはいきそうにないだろう。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=331788
〇 神社本庁の総裁は 天皇の姉
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載終わり)・・・・・・・・
まあ、分っていたことですが。
その結果、2018年の今、神社本庁が急速に崩壊に向かっています。
昨年12月、首都圏の有力神社で、宮司の家で、弟が姉を殺す事件が起きてしまいました。 その神社は、すぐに、神社本庁からは破門になりましたが、富ケ岡八幡では、今、富ケ岡八幡粛清委員会 が立ち上がっています。
1910年以後に誕生した、半島生まれの「皇国日本人」は、江戸時代までの日本列島での神社信仰を知りません。まして、縄文時代の日本列島の信仰や、漢字を拒否していたときの情報交流の在り方も情報の内容そのものも、考えたことがないでしょう。伊藤博文によって、明治政府ができ、国家体制の頂点に天皇が置かれ、そこと直結する国家神道のもつ、国家からの優遇策(経済面、利権)に惹かれていたにすぎません。
朝鮮総督府が半島・満州で「皇民化」を進めるとき、自ら進んで、喜んでそこに入り込んだ人たちは、半島内では、李氏朝鮮時代には、一体、どんな人たちだったのでしょうか? 彼らは、戦後、日本の天皇の地位に、アメリカの占領軍が来てからあとは、今度は、列島と半島では、誰の手先になったのでしょうか。
彼らは、「翡翠の響き」が、多くの共振をもたらす、「縄文カンナガラ」を感じたことがあるでしょうか? もし、列島に来てそれを感じたとして、それを、どう普段の生活規範や、政策に生かしたらいいか、真剣に考えたことがあるでしょうか?
戦前は無理だったでしょうが、戦後の経済成長の時、そして、この平成時代は、どうだったのでしょうか?
例えば、ホリエモンは、寿司の職人になるのに10年も修業するのは無駄、と言いましたが、
この人間は、「同じ板場、同じ素材、同じ包丁、同じレシピ、同じ器をつかっても、名人と一般人とでは、最後に出来上がる寿司の味に、明らかな違いが出る」ことを知りませんし、その意味も分らないのでしょう。
イノチと、人間の心と技の関わりが判れば、見えてくる世界があるのですが、マネーだけを見ている人間には、そこまで、認識ができない。
これ、分りますか?
それが分る人間が、これからの未来を創り出していきます。なぜなら、その違いのところに、これから、その世界を共有したい、応援したいという心を持った マネー が流れ込むからです。
この辺は、次回、東京で話しましょうか?
「それは、こうでしょ」という方は、私にメール下さい。 nunato2511arai@gmai.com