私の操作が誤って、消えてしまった部分ですが、ヒロちゃんのblog が、とりあげてくれていました。
ここには、サンカに関して、書きました。 以下から、抜粋します。
(ヒロちゃん、あなたの反応、本当に速いですね。助かりました。ありがとう。これまでも、貴ブログで、「京の風」を紹介してくれていましたね。今後もよろしく)
5) 国家権力と対等で生きる。
幕藩体制の中では、争いを嫌うサンカは、全国各地の山中に、独自の生存方法と文化を確立して暮らしていた。戸籍に載らない人々で、自他ともに、自らを、民ではなく、草 と呼んでいた。
権力になびかず、イノチを大切にする誇りがあった。
大いなるイノチと、人間に生まれた自分個人の持つイノチ。
豊穣の大地と一体で生きることに至福の喜びを感じていた。
里の民とも、棲み分けながら助けあった。
それを強引にやめさせて、国家の民にした。これが、明治政府。
これに反発したのが、実は、自由民権運動の真相。
サンカは、何を嫌ったのか? 「納税と兵役の義務」のうち、特に、殺傷を強制させられる「兵営の義務」。 本来の縄文精神を、もっとも色濃く残していたのです。
民がすむ、里とは、実は、田畑の耕作権や 水利を争うところ。…「我田引水」という言葉がある。
この百姓をどう抱え、治めるか、が、封建領主=藩主・代官だった。…「生かさぬよう、殺さぬよう」
さらに、 「依らしむべし、知らしむべからず」。 「民を愚かに保て」って。
で、重要なこと。
自由であることは、 自分のイノチを、自分たちで、守ること。
自然の声を、いつもその響きに浸りきって、感じ取るように、しっかり聞き続ける。
本来、山は神々のいるところで、神聖な場所だった。いい加減な気持ちでは、入ってはいけなかった。
昨日、3000年ぶりに、白根山の鏡池側 が噴火した。
3000年前というと、日本列島に水稲稲作が入って(佐賀の菜畑遺跡)、「みずほの国」がはじまったとき。
水稲稲作が始まって、穀物生産が増え、作物の余剰が生まれ、その余剰の獲得を巡って、日本列島でも、人間の世界に権力構造が生まれた。それを前提にして生まれたのが、日本の神道です。
この辺を、にっぽん文明研究所の奈良泰秀先生が、上手に説明しています。(冒頭のビデオ)
奈良先生とよく話してきたのですが、この日本列島で、多くのユーラシアの文明を受け止め、融合させてきたのは、縄文のどんな感性か? それは、何か?
翡翠の勾玉。 八尺瓊勾玉。 これは、縄文精神で、これが、古神道。
今、世界人類は、IT技術の発展と、その習得で、縄文の古神道の精神にむかいます。
自然に浸りきって、すべてのイノチを感じながら、未来を創る。これをしよう。
そして、今のITのネットの活用で、どう現実の人間世界を、作り直すか?
このとき、江戸期まで色濃く残っていた「結(ゆい)」、そして、大陸の「幇(パン)」が参考になる。社畜や官畜からの脱出です。
最後に、意地悪をひとつ。
「うちの店は、世界一美味い トンカツ屋だ、と自慢するブタ君」
これ、だれのことか、わかりますか?