明日、籠池氏の国会での証人喚問。
今回の森友学園の認可と、国有地の払い下げが、どれほど異常なスピードで進められたものであったか、作新学園の船田元議員がテレビで指摘していました。
官僚たちが、時の権力者の思いを忖度する。そして、国家の許認可のために、一斉に動く。
明治維新後、神聖不可侵の「天皇」の絶対権威を使って、権力者(軍部・官僚・財界)の意向を、臣民に強制した。このときから、官僚たちの「忖度」は始まっている。
戦前の反省から始まったはずの戦後の日本国家は、主権在民のはずだったが、「忖度」は、そのまま残っていた。このときの総理大臣が、当然、日本国家では最高権力者だったが、その人間が指示を仰ぐ人間がいれば、「忖度」は、その指示の発令者に向かっていく。自民党の結党時から、そこには、アメリカのCIAがいた。田中角栄以後は、さらに詳細に指示を出すジャパンハンドラーがいたのだろう。
では、民主党政権のあとの、第二次安倍政権のときに、なぜ、これが異常に膨らんだのか?
しかも、メディアまで、完全に従わせた。
「忖度」で、行政の各司(つかさ)の担当責任者が、どんどん法の枠を越えて、物事を進める。
これに対するチェック機能が、全くなかった。司法も、「忖度」する側=官僚の味方だった。
そして、この日本列島には、それを正す手段がなかった。今回、アメリカにトランプ政権ができて、ようやく露見した。
つまり、これまでは、皆、少しでも権力に近づくものは、この「忖度」の輪の中に入っていたのだ。
この状況を正すとすれば、それは、行政の最高権力者個人の、人間性、人格、力量に頼るしかないのか?
この部分を、法的に、規制できないのか?
少なくとも、今回の森友学園の校舎建設に関わる、3通の契約書を存在させ、それを許したままにする、国家の制度(行政のありかただけでなく、司法も含める)では、「私物国家」のそしりが、今後も続く。
悲しいことだ。
中央集権化の中で、国有財産の分配のみならず、軍事行為も、エネルギー政策も、農業も、医療も、国民とは離れて、「忖度」官僚たちが制度をかってに運用し、実態を作っていく。しかも、結果に対し、だれも責任をとらない。
こんな統治体が、世界の中心になれるはずはない。