中国では今、ショッピングモールと交通アクセスインフラ 整備が急速に進んでいます。
これさえあれば、多くの集客ができ、テナント代も上がり、地価も上がり、税収も増える。
こう考えたのは、日本の戦後の発展を、正しいものと見たらからでしょう
確かに、売り場と、そこへの利便性は、人間が生きるうえで、必要条件です。
しかし、これが過剰になるとどうか?
もともと、これらは人間にとって、単に、空間利用の道具に過ぎないのではないか?
日本でも中国でも、金融機関は政府の後押しを受けて、資金を手当てし、
広い売り場面積のハコモノと、快適な運輸アクセスが、どんどん造られます。
さらに、話題つくりと客寄せに、芸能人、人気ブランド、グルメが集められます。
テレビ・ラジオ・ネット・雑誌・フリーペーパーをつかい、消費をあおりますが、
いたるところに、いつも同じものが売られていると、うんざりしてきます。
あとは、売っている商品の価格と品質の勝負です。
一方で、ネット通販やテレビ・ショッピングが、普及・拡充すると、
もう、そんな、ドタバタして、ガサついたところに行く必要はなくなる。
自分にとって、生活に必要なものは、いながらにして買える時代になってくる。
(中国のように偽モノが氾濫するなら、ホンモノであることが貴重ですが)。
問題は、生きている自分の、その生きている実感と、その喜びの質。
薄っぺら、スカスカ、味がない、代わり映えしない、手ごたえがない、深みがない、
その他大勢と同じ扱いで、自分個人としての尊厳が無視されている。発揮できない。
こんなものたりなさに、毎日、襲われる。
マネーと電子信号のみで右往左往し、その空間にあるイノチを感じられない世界は、
自分が主体になって、次の世界がつくれません。
道具に振りまわされている人間は、 自分を失っています。
芸術家や発明家、作曲家、小説家、舞台芸術家など、 芸術的創造は、
そこではできません。
つねに、比較にさらされる中では、永遠性は、感じられない。
>> これからは、
・目先の金や地位のみを追いつづける人間 と、
・自分の人生で何を残すべきかを、常に考えて生きている人間 とに、
>>> 見事に、二つに分かれていきます。
当然、今は、まだ、後者は少数ですが、こちらが急速にふえてきます。
それが、本当の意味での、人類社会全体のアセンションです。
ガサツな人が利益だけを期待して造った町や施設には、誰も来なくなるでしょう。
中国でも日本でも、ガサツな街には人は来なくなる。
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。