一度本欄で紹介したことがありますが、ヘレンケラーの言葉に、以下があります。
http://www.k2o.co.jp/blog2/
盲目であることは、悲しいことです。
けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、もっと悲しいことです。
幸せとは、視野の広い深遠な知識をもつことです。
その知識とは、嘘と真実、低俗なものと、高尚なものを見分ける力です。
結局、真の知識を得ようと望むものは、誰でも艱難の山を一人で登らなければならず、
頂上への王道がない以上、
私は曲がりくねりながら、登らねばならないことに気づいたのです。
安全とは、思い込みにすぎない場合が多いのです。
現実に安全というものは存在せず、
子供たちも、誰ひとりとして安全とは言えません。
危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい、危険なのです。
人生は、危険に満ちた冒険か、もしくは、無か、
そのどちらかを選ぶ以外にありません。
個性は安らぎや静けさの中で 生まれるものではありません。
試練や苦しみを経験することでのみ、魂が鍛えられ、
洞察力が研ぎ澄まされ、 野心が鼓舞され、成功が手に入るのです。
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今、わたしは、わくわくしています。
これから、 神と人類の関係、そして、これまで、この地上で発展してきた人類社会の秘密が、
どんどん暴かれ、そして、この惑星に、人類を誕生させた、意思と目的が、明確になっていくからです。
今日、常連閲覧者から、メールと電話がありました。
どうも、地軸がぶれだしているのではないか、と。 明らかに、日の出、日の入りの場所は変わっていると。
そうならば、この変な台風の発生も頷けます。
残念なことは、私は、日本のノーベル賞クラスのトップエリートたちのサークルに入っていないこと。
地球物理や素粒子論の世界と、今の地球外生命体まで含めた人類社会の国際情勢について、まだ、くっきりとした、関連性が見えていないこと。
「幸せとは、視野の広い深遠な知識をもつことです」 とは、まさに至言です。
私が知っていることといえば、 「使えば使うほど、増えるのが、知恵である」 とか、
あるいは、「美味しいものを食べたことのない人間に、美味しいものは作れない」 ということ。
そして、「森羅万象の豊饒のなかに身を置いて、無限の知恵や知識が降り注がれているのが、わかっても、自分が用意した器にしか、受け取ることができない」 と いうこと。