おはようございます。
ここ信州中野は、積雪10CM。 とても気持ちいい朝です。
空気中の塵を、雪がすべて吸収して降ろしてくれました。
<国民に教育の機会>
さて、今回の15日の 「習=天皇」会談を契機に、
皇室について、議論が百出しています。
すべては、小沢一郎の、インタビューからでした。
ここには、
① 官僚と、国民、そして、政府 の関係
② 日本国家の象徴である、天皇の立場と、国事行事に
について、 多くの問いかけがなされました。
特に、天皇家と、 私たちの行政機関である日本国政府に
ついて、 その費用面についてまで、 国民が関心を持ち出したことが
とても大きい。
これが、さらに、 日本国の国富(財産)に関して、
一体誰が、管理し、どう差配されているのか、 ここまで、
今後は、議論がでてくるでしょう。
国富と、 政府予算は、違います。
また、国富とは、財務省の理財局が管理しているものだけでは
ありません。
外貨準備や、貿易や資本の収支、土地価格などは、 統計がでますが、
そうではない、国家の原資になる、
富=国際的に通用する価値をもつ、国家の財産です。
これは、金、権利、そして、キャッシュ です。
明治維新で薩長による新政府ができたとき、それ以前までの、
徳川幕府や北朝の皇室が管理してきた、財産まで、含まれます。
これは、明治のときに、地租改正や日本銀行の創設で使われましたが、
アメリカの占領軍が来て以来、まったく、その情報は、閉ざされてしまいました。
皇室内部の私的な情報と、同じ、位置づけになり、
「菊のカーテン」が、かけられてしまいました。
<基地問題は、日米の秘密を暴いていく>
今、沖縄の基地問題がゆれています。
沖縄に行ったことのある、友人が、面白い情報をくれました。
1972年の返還に関してです。
このとき、当時の佐藤栄作首相は、 返還を成し遂げ、
さらに、「非核三原則」を、掲げたことで、 ノーベル平和賞をもらいました。
しかし、この後者の「非核三原則」が、インチキだったことが、
いまでは、全世界に、公開されています。
こっちは、大恥です。
まともな神経の持ち主なら、その親族たちも、恥じて、返還すべきでしょう
安倍晋三に、 マスコミは、きちんと、インタビューしないといけない。
で、もう一方の、沖縄返還ですが、ここに、どうも、この、日本の「国富」の
一部が使われているというのです。
それは、 「天皇の金塊」と呼ばれるものです。
これは、現物のゴールドのみならず、それを担保にした資金も含みます。
戦前に、日本軍が東南アジアから、気が狂ったように、かき集めた金塊は、
一部は、台湾に運び込まれましたが、ほとんどは、フィリピンまで運んだところで、
アメリカのマッカーサーの軍隊と取り合って、大戦争になりました。
このときの戦闘に巻き込まれたマニラ市民は、2万人以上が亡くなりました。
そして、その金塊は、一部は、アメリカに運び出されたものの、
多くが、フィリピンに残されました。
1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領は、戦後の世界基軸通貨だった、
米ドルの金との交換停止を宣言します。 いわゆる、ニクソン・ショックです。
アメリカ政府は、 FRBが発行する米ドルで、そのときまで、
金ゴールド 1トロイオンスを、35ドルで交換する、金本位制を敷いていました。
これは、1944年7月の、ブレトンウッズ協定で決まったものでした。
しかし、戦後、アメリカの浪費が進み、この金ゴールドが足りなくなりました。
また、フランスなどは、どんどん稼いだ米ドルを、金に換えていました。
ニクソンショック後、世界経済は、変動相場制になり、 アメリカは、
原油を米ドルでのみ購入できる、「原油売買のドル建て原則」を持ち出し、
その原油を、中東戦争によって、価格を吊り上げることで、米ドルの価値を
守っていきました。
さて、問題の沖縄返還です。1972年。
アメリカ政府は、1971年に、変動相場制に移行する一方で、
翌72年から、30年物の国債を発行することで、何とか、国内の財政を
回していきます。
しかし、いかんせん、 金(ゴールド)不足しています。
そして、このときに、どうも、日本に、フィリピンにある、あの金塊を、
まわしてくれないか、と打診が、あったようです。
そのときの、大蔵大臣が、田中角栄。 総理が、佐藤栄作(岸信介の弟)。
<日本の金塊をまわす代わりに、沖縄を返還してくれ> と迫ったようです。
このときの、アメリカは、「返還はOKだが、核を、持込むことを認めよ。」
だったようです。
これらは、「菊のカーテン」の向こうの話なので、状況証拠からの推測です。
ただ、一国や地域の独立 を引き換えに、核を持込むは、
アメリカの常套手段で、 パラオの独立のときもそうでした。
「独立してもいいが、言うことを聞かなければ、いつでも、核を破裂させるぞ」、
との脅しです。
表面で、どんなにきれいごとを言っていても、
西部劇の、ならず者の発想で、外交をしているのが、アメリカです。
そのとき、
「なんだ、アメリカは、軍事は強いけど、 浪費癖が激しく、
最後には、 カネをセビリにくるんだな。」
こう考え、日本の主権回復に乗り出したのが、きっと、田中角栄でしょう。
しかし、このとき、アメリカは、軍事的な日本占領を加速させようとします。
そのときの協力者は、岸信介であり、佐藤栄作での、清和会の面々です。
それなのに、ニクソンは、1972年に、イキナリ訪中し、日本を驚かします。
その前年の71年7月に、キッシンジャーが極秘に北京に入って、米中和解の
お膳立てをしていたのです。
そして、この年の10月に、北京政府が、国連に復帰しました。
こうした中、当時の清和会は、親台湾(国民党)派であり、
完全に情報が入らず、時代から取り残されました。
田中角栄は、この年の9月に中国と日中共同声明を出し、国交回復します。
20世紀の後半、こうした戦後世界の再編に、影で動いた立役者の
キッシンジャーも、 今は、90歳の高齢で、もう引退です。
「東アジア共同体」。
それには、
「菊のカーテン」も、開かれることが、前提になります。
本人は、愛国者のつもりでも、「洗脳」されたままだと、
ひっくり返って、立てなくなってしまうよ。
「菊のカーテン」が開かれるとき。
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。