自民党の三原じゅん子さんが、国会で、『八紘一宇』 を持ち出しました。
「グローバリズム」の対抗策に、活かすべき政治理念としているのです。
表面だけの字句をとらえ、この理念が、何をもたらしたのか、きちんとした検証もしたことがないのでしょう。
たぶん、先輩たちに言われるままに、神武天皇が実在で、そのY染色体があると、信じているのでしょう。
きっと、彼女、そして、彼女の先生たちは、したり顔で、こういうでのしょうね。
「いいですか、みなさん。 神社には、神がいるのです。
それは、 「我(が)」 を 捨てれば、すぐに、現れます。
本当ですよ。
神社には、鏡があるでしょ。
鏡の前にたって、 我(が)を 捨ててみてください。
《 か が み 》
ここから、「が」を捨てれば、
ほら、 《 か み 》 になりますね。 」
こんなことを、戦前、東京帝国大学を出た宮内省の幹部神職たちが、真顔で話していたのです。
そして、それを真に受けて、全国のこどもたちだけでなく、大人たちにも、教育していたのが、
文部省の先生たちです。 これは、科学でもない、単なる駄洒落の「刷り込み」=洗脳 です。
そして、皇祖神アマテラスは、鏡そのものだ、とも、しているのです。
こうした子供だましを、戦後になっても、そのまま続けるのが、自民党の保守層の頭の構造です。
天皇様からの『恩寵』期待。簡単に言うと、国家から、特権とマネーを得るためです。
そして、今、 安倍政権で、アメリカに代わって、世界最強の軍事力を 持ちたいのでしょう。
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ところで、 京都で、わたしが日本料理の真髄を、確認した後、
あるスピリチュアルグループの方が、お伝えしたいことがあると、接触をもとめてきました。
そして、私に、ささやきました。
・・・ 「国譲り」 のとき、この国に入り込んだ神さまが、
昨年11月の伊雑宮の遷御のときに、本来の場所に、おもどりになった。 ・・・
「国譲り」とは、実際は、「国生み」と 同じ事実・事件をさしています。
このことは、淡路島の諭鶴羽(ユヅルハ)神社に行けば、わかります。
そして、このときに、日本列島に 「国(統治体)」をつくった事実に基づいて、
あのとき、熊野に現れたヤタカラス の直系の子孫たちが、
「うちの先祖が、 天皇をつくった」 としてきたのです。
さて、この国は、本当に、アマテラスから、始まったのでしょうか?
そして、 「鏡」 が、 神なのでしょうか?
古事記の岩戸神話 をよく読むと、鏡は アマテラスの姿を、映したに過ぎません・
アマテラスが、鏡に映った自分の姿をみて驚いているときに、タチカラオが岩戸を投げ飛ばした。
一方、日本書紀の「一曰く」では、 アマテラスは、
アメノコヤネの美しい祝詞の調べに誘われて、アマテラスが自らでてきた、としています。
なにより、 そもそも、アマテラスとは何モノなのでしょうか? 縄文時代からいたのでしょうか?
記紀神話自体が、701年に大宝律令ができてからあとに、完成したものです。
このときに、とくに、高天原の神代編が作られたのです。
高天原にいた神々が、地上の人間世界に降りた物語が、ニニギの「天孫降臨」です。
ニニギ ~ ホホデミ ~ ウガヤフキアエズ ~ 4兄弟。この末子がカムヤマトイワレビコで、神武。
記紀神話では、 高天原の神様は、働いていました。
①稲作をしていた。畔があった。 ②機織(はたおり)をしていた。 ③ 馬がいた。
これだけで、BC660年のことではないと、わかります。 日本列島に馬が来たのは、紀元後2世紀です。
では、日本で、「三種の神器」という概念は、一体、いつ、生まれたのでしょう?
712年に成立した古事記には、勾玉の名称はなく、当然、「三種」になっていません。
720年成立の日本書紀に、「ヤサカニのマガタマ」あるわけですから、この間につくられた政治概念です。
日本書紀の「天孫降臨」で、「三種の神器」が書かれ、ここでは、「ヤサカニのマガタマ」 が、筆頭なのです。
「ヤサカニ」とは、何なのか?
三原じゅん子 さんならずも、 神社界の皆さん、文部省のみなさん、ご存知ですか?
明治になって中央集権国家をつくるために、神武即位年をBC660年と推定したのは、那珂通世 でした。
これをそのまま政治決定し、以後、21世紀になっても、そのままにしている知的怠慢が恥ずかしくありませんか?
これこそが、「箱庭」の名誉 の はじまりです。
そこには、まったく、普遍性がありません。 このままで、世界人類の平和を語るのですか?
宮崎の西都原古墳群は、4世紀~5世紀のものです。 BC660年からは、1000年も離れています。
さらに、BC660年とは、ダビデ王がいた古代イスラエルが北と南に分裂したあと、
それぞれ、アッシリアと新バビロニアに捕囚された年の、ほぼ中間年に当たることを知っていますか?
それよりも、なにより、「国譲り」では、ヤタカラスよりも、金鵄 が、決定的な作用をしましたが、
これが、どこからきた鳥なのか、知っていますか?
いい加減、知的怠慢を卒業してください。 自然界と人類の未来に対し、真摯に向き合ってください。
こんなことだから、明治維新後は、神社合祀で、どんどん、「鎮守の森」をつぶし、
さらに、原発建設では、自然破壊の最先端に、神社本庁が立ってしまったのです。
山口県上関原発の建設で、中国電力と組んで、一体、何をしたのですか。
あなたたちの「かんながらの道」 は、本当に、イノチを削る 「カネながらの道」 でしかないのです。
本当に恥ずかしい人たちです。
ホンモノの「神ながら道」は、あなたたちにどんな運命をもたらすか、もうお分かりでしょう。直視してください。