こんにちは。 週末、京都に向います。
今、資料を作っているのですが、卑弥呼の時代のリアリティーを感じてもらうには、やはり、三国志が良いかな、と思います。
https://www.youtube.com/watch?v=yN7huKIOxFA (27分くらいから、最期の場面)
特に、諸葛亮孔明が、五丈原で亡くなる場面。どれほど、蜀の人間から慕われていたことでしょう。これが、建興12年《234)でした。問題は、そのあとです。日本列島にいた卑弥呼が帯方郡に使者を出したのが、魏志には4年後の景初2年(238)と書かれているのですが、これを、日本の歴史学界は、明治以来一貫して、景初3年(239)の間違いだと、強弁してきたことです。さらに、卑弥呼の「鬼道」を、呪術としてきましたが、これは、「道教」のことです。
このあとに日本列島に登場するのが、「ハツクニシラス」の第10代の崇神です。 この人物は、一体、誰か? これをごまかすために、明治以来の日本の歴史教育があったのです。
日本人の三国志好きは、明治期になって日清戦争のあとに、大陸政策の進展にしたがって広まります。特に、諸葛孔明の最期をモチーフに、「荒城の月」で有名な土井晩翠が『星落秋風五丈原』を作詞しますと、これが、戦前の将校たちや大陸浪人たちを大いに刺激し、いつしか、メロディーがつけられると、満州事変のあとには、孔明の軍事的天才と忠誠心に憧れて、酒席でいつも歌われる軍歌の一つになりました。
なかには、「孔明は日本人だった」とファンタジーを言い出す輩もいたくらい、この歌の物語に酔ったのです。 でも、歌詞自体はほんとうにいいものです。
http://shomon.livedoor.biz/archives/51877367.html
http://gunka.sakura.ne.jp/nihon/hoshiotu.htm
戦後になると、多くの軍歌が歌われない中、ある宗教団体で、盛んに歌われるようになっていきました。
https://www.youtube.com/watch?v=ekDPvLHdXz0
https://www.youtube.com/watch?v=XaXNo0SYQr4
私たち日本人の血の中には、縄文人をベースに、古くは弥生人や、三国志の時代やその前後の時代に、大陸から逃れてきた(中には招かれてきた)人間の血が混じっているわけですが、きちんと、東アジアの物語を書かねばなりません。今のままでは、歪みすぎています。