龍馬伝を2回続けて見逃してしまい、今朝、初めて、録画で第3部を見ました。
海軍操練所が解散になってから後の龍馬が、薩長同盟を実現するまでが、第3部です。
舞台は、長崎に変わります。
この大河ドラマは、本当によくできています。
面白い。今回の長崎の街の描き方は、特にミステリアスで、絶賛されていいものです。
よく雰囲気を出しています。これは、21世紀の現在でも、長崎の地域おこしに参考に
なるでしょう。
さて、ここで、高杉晋作が、龍馬と会います。さらに、1864年8月、蛤御門で戦った
薩摩藩の人間 と出会います。
このとき、長州藩に目を光らせていたのが、長崎奉行です。
まあ、当然といえば当然なのですが。
長崎奉行は、一体何をしていたのか?
ここは、日田の代官所が、管轄していたのです。
この日田には、幕末、日本の本質を求めて全国を訪ね歩いた高山彦九郎が訪れた後、
自殺しています。高山が、御所に向って土下座している像が、川端通三条にあります。
さて、それよりも、このドラマの中のセリフで、
「長州には、金はいくらでもある。下関の馬関海峡の上がりで、金はいくらでもある。」
といっています。
さらに、高杉が、
「僕は、2年前に上海にいった。そこでシナ人が奴隷のように扱われているのを見た」
といって、長州が、倒幕にむかう動議を正当化、強調します。
何も知らない人が、このドラマのこの場面をみれば、なるほど、この長州の高い志が明治維新
を成し遂げたのだ、と、うるうる感動したうえで、そのまま納得してしまうでしょう。
でも、高杉が上海に行ったのは、劇中で語った2年前の1863年ではなく、3年前の1862年で、
このときは、実は、五代友厚も上海に行っていました。こっちは、薩摩藩です。
しかも、このとき、どうも、勝海舟も同行していると思われます。
つまり、「高杉・桂」の長州、「西郷・伍代」の薩摩、そして、「勝・龍馬」の海軍操練所
の面々は、太平天国後に租借地になった1862年の清国上海の惨状を知っているのです。
そして、長州藩が孝明天皇の攘夷決行に応え、イギリスと戦いそれに敗れて、京都の御所に
押し入ろうとして蛤御門で幕府軍と戦闘になりますが、ここで薩摩藩に追い返されてしまいます。
これによって、長州は「朝敵」となってしまいます。
そして、この直後に、竜馬のいる幕府の海軍操練所が解散になります。
本来なら、この時期の長州は、外国との戦で負け、さらに、幕府軍・薩摩軍とも負けて
ボロボロです。
それなのに、
>このときの長州に、外国から最新式の武器弾薬を買う資金が、たんまり、あるんだって?
>しまも、それが、下関海峡の通行料だって?
あ~あ、ここが、一番肝心なところなのに。
いつまで、子供だましをつづけるの、この国の公共放送は!!!
長州に対し、巨大な資金の提供者があったに、決まっているじゃないですか。
問題は、それが、誰か? でしょう。
もちろん、フランスではない。
グラバー? イギリス?
まだまだ、ありますよ。
このとき、アメリカは、南北戦争の最中。
18世紀の終りから19世紀の前半まで、日本から、莫大な金塊流出があったことが、
分からないと、肝心な、近代国家日本の始まりが分からない。
おかしいぞNHK「龍馬伝」。幕末(蛤御門後)の長州はそんなに金持ちだったか?
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。