731部隊、詳細な隊員情報や組織機構が判明 70年前の公文書を新発見
6/22(月) 10:15配信 京都新聞
第2次世界大戦中に細菌戦の研究をした「731部隊」を本部とする旧関東軍防疫給水部(関防給)について調査している滋賀医科大名誉教授らが19日、戦後に政府が作成した関防給に関する公文書を発見し、組織機構や支部の隊員の所属、敗戦前後の行動の一端が明らかになったと発表した。支部で細菌を生産していたことも公文書で初めて裏付けられたという。「不明な点が多い組織の隊員一人一人の情報や、元隊員の証言などの根拠となる文書で、歴史を検証する上で意義深い」としている。
【写真】日本政府が「ない」としたが、実は存在していた731部隊公文書
公文書は1950~51年に作成された「関東軍防疫給水部部隊概況」。滋賀医大名誉教授の西山勝夫さん(78)らが昨年、国立公文書館で見つけ、今年3月までに公開された計41枚を分析した。
公文書から、関防給は本部と五つの支部などから成り、それぞれの組織機構も裏付けられた。大連支部については「終戦時迄(まで)主として細菌の研究及(および)生産に住じていた」(原文ママ)と記述があった。
また林口、牡丹江、孫呉、海拉爾(はいらる)の4支部については「細部調査票」との文書があり、隊員の氏名や階級、本籍などが記されていた。さらに各支部の変遷を示す表のほか、敗戦前後の各支部の部隊の行動を地図上に示した「行動群経過要図」もあり、経由地や日にちのほか合流や戦闘などの記載から部隊の詳細な動きがうかがえる。
隊員が戦後、旧ソ連に抑留された際の収容所名を記した文書もあった。51年段階で政府が敗戦時の関防給の隊員数を計3262人としていたことも分かった。
一方、公文書には本部(731部隊)や大連支部の細部調査票や行動群経過要図などが含まれていなかった。西山さんは「他の支部があることから考えると不自然。文書公開まで長期間を要すると、生存者への聞き取りなど検証がしにくくなる。速やかに公開する仕組みが必要」と指摘した。今後医学や歴史学の研究者らでつくる「15年戦争と日本の医学医療研究会」(大阪市)などと協力し、調査を進めるとしている。
(新井のコメント)
戦後、巣鴨に入っていた、岸信介・笹川良一・児玉誉志夫らは、
なぜ絞首刑を逃れたか?
「農的小日本主義」の石橋湛山のあとに、岸信介は、総理になった。
岸が国家総動員法のときに、現在の経団連の基礎を作った。
いよいよ闇に手が入るということ。
これは、アメリカの変化であり、そして、地球規模での人類の
覚醒になります。
当然、昭和天皇裕仁が、なぜ、開戦と終戦をしたのか、
戦前のアラヒトカミが、ポツダム宣言受け入れで「人間宣言」した
後も、君臨し続けたのか?
広島原爆炸裂について、裕仁自身が言う「まことにやむを得ぬ事情」
が、もうすぐに明らかになるでしょう。
三笠宮が戦後、「神武天皇は実在しない」というのを、「赤い皇族」
といって、その言説を否定していたのは、学会・マスメディアであり、
これは当時の米軍世界戦略の中で、列島民の洗脳を続けるためでした。
令和時代は、ここも、崩れます。
「上級国民」と自認した人間は、もう、人間ではなく、基本的には、
強烈な差別主義。利権主義で、本質的に冷血漢になっていきます。
彼らは、「穢れ思想」を持ち出します。
いまだに、自らのそうした人間としての「欠陥」を、誇りに感じる
バカドモがこの国には多く、そんな彼らをありがたがる「列島民」も
いるのもまた事実なのです。
きちんと知りましょう。彼らが何を考え、何をしてきたか?
「上官の命令は、天皇の命令と思え」といって、
どれほど多くの人間の心が歪み、本来の感受性を失って落伍し、
自分の心の内になる光を忘れて、悪魔化して行ったことか。
人類社会のグレイト・リセットは、日本社会(日本語の言論空間)
を、根本から変えていきます。