これから東京に向かいます。
来月のことですが、京都で久しぶりに勉強会をします。
20日(土)の午後になります。
そして、
27日(土)には、 東京で、 特別 研究会に、招待されました。
詳細は、おって連絡します。
ところで、
今、京都は、本当に熱い。
これは、日本文化の中心だからです。
永遠に絶対消えないブランド、 それが、京都 KYOTO です。
桓武天皇以来の1200年に、蓄積され、育まれたもの。 おもてなし ?
いや、 「花鳥風月」 でしょう。
地球生命(自然)の営みと、 人間がつくりだした文明を、常に、融合させていたのが、本来の日本文化です。
私は、その日本文化は、
シュメール と 縄文 の出会いによって、 核心 が誕生したと考えています。
人間が、 他の動物と違うのは、何か?
想像 と 創造 ができること。
そして、
想像できないものは、 創造できない。
自分が想像しないと、 他者が想像・創造した世界で、 ただ単に、 ロボット化されて生きるだけです。
未来を生み出すものは、 私達のココロ です。
このとき、 宇宙の摂理、神の姿を、どう捉えるか、 これには、皆で、意見を出し合って、真実の姿をより鮮明に 浮き上がらせていかねばなりません。
これが、科学的な態度でした。
日本の近代は、西欧で発見された知見を、翻訳して、日本国民に紹介することから始まりました。
この時、何を紹介するか、自分が選んだ知見に、逆らうなという姿勢で、権威を構成しました。
これが、日本の近代の学問の姿でした。
悲しいかな、 天地の真実を直接、考えさせることをしませんでした。
近代国家の初期段階では、それは、正しいものでしたが、 さて、 21世紀の現代はどうか?
制度は、 必ず、疲労します。
日々の現実の世界は、どんどん、変化しており、 一度決めたものは、どんどん、見直し、再編、改変が、
ひつようなのです。
利権、さらに、 世襲化 。 これが、この改変を拒んできました。
その結果、ますます、歪んでいきます。
しかも、 国家が、キチンと独立していない状態だったため、権力の実態が、国民には見えない。
それで、 今にいたってしまった。
日本だけは、 戦後の「平常時」を、続けてきたのです。
それが、もうすぐ、 名実ともに、破れる。
日本は、 これまで、こうした根本変革の時に、 「ユズルハ」 というセオリー がありました。
私達の意識が、生命エネルギーの源流を捉え、新生する次の形の核を 自分の内側から作り出すことで、新時代を 創ってきたのです。
ようやく、それを、語るしか無い秋(トキ)になりました。
明日、市ヶ谷でお会いしましょう。