もうすぐ、日中国交回復50周年。
日中の不戦の誓いから、経済協力へ。 先人たちが開いてきた道を忘れてはならない。
このときの、精神と行動は、今こそ、全地球規模に、広げるべきものでしょう。
1972年の田中角栄の訪中の前から、日本の経済界と、中華人民共和国の経済交流はありました。
その代表例が、久原房之介による、1954年の訪中です。
その二年前にあったのが、サンフランシスコ講和条約の発効です。ここから、戦後は大きく動き始めました。満州であらゆる政治的実権をしたのが岸信介でしたが、その岸の活動再開です。ウィキには以下があります。
岸信介は、公職追放解除となるやいなや、1952年4月に「自主憲法制定」、「自主軍備確立」、「自主外交展開」をスローガンに掲げた日本再建連盟を設立し、会長に就任した。しかし、岸信介は1953年(昭和28年)、日本再建連盟の選挙大敗したことで、ここでは、なんと、日本社会党に入党しようと三輪寿壮に働きかけるも党内の反対が激しく入党はできず、翌年、1月13日自由党入党の意向を表明し、首相吉田は了承し、3月18日に正式入党、4月公認候補として衆議院選挙に当選した。しかし、軍事面での岸の国家観と、吉田茂のそれはまったく違っていた。
吉田茂からは憲法調査会会長に任じられて自主憲法制定を目指していたが、岸信介本人は、満州での関東軍に支えられた行政体の記憶をもとに、自主独立で、しかも、国民を軍事的に洗脳した重武装体制を本音に持つものでした。
1954年(昭和29年)に岸信介は、吉田の「軽武装、対米協調」路線に反発したため自由党を除名された。しかし、戦後、岸路線を支持する勢力は、旧満州時代の軍人や経済官僚に軍属、さらに、明治以来からの国家意識を絶対とする名門の出身者、および、戦前の皇国史観の日本しか知らない、半島出身者に多く残っていて、そうした人間の存在を、東アジアでの緊張の継続拡大を望むアメリカの戦争屋(軍産複合体)は見逃さなかった。
岸信介が吉田路線に反発し、満州時代の軍事最優先の政治勢力を作り出そうとする中、それを韓国を巻き込んでひそかに育てるアメリカの工作員もいたが、そうした戦争への路線を嫌って、ソ連や中国と経済交流を第一としたのが、財界人の中でも、戦前、孫文死後、昭和時代になってにできた田中義一内閣で、逓信大臣を務めた久原房之介です。(張作霖爆殺事件に、なぜ、昭和天皇が烈火のごとく怒かったのか、その真相をよく知る人物でした)
久原は昭和期の天才実業家(日立の創業)です。その一家は、大化の改新以前から続く、鉱山サンカの家系の人間でしょう。金属加工の技術を持つ職人ネットワークの棟梁だったのでしょう。今年5月23日,岸田文雄がバイデンをもてなした、あの八芳園の持ち主でした。
その久原が毛沢東と会った時の写真が、 これです。中国・日本 両国人民の友好の絵巻物_中国网 (china.org.cn)
中国・日本 両国人民の友好の絵巻物_中国网 (china.org.cn)
これは、2005年に金井敏伯氏が、私に教えてくれた本人の実話ですが、中国で、文化大革命が各地で荒れすさび、多くの工場(生産手段)が壊される中、どう回復したらいいか、まず現状を見てほしいと、周恩来の特殊ルートで密命を受けたのが金井敏伯氏で、彼は松下幸之助を連れて、1968年秋に、香港の羅湖から大陸に入り、その内情を観察していました。
その結果は、田中角栄や彼と親しい財界人には伝えられ、そのあとに、
1971年7月のキッシンジャーの極秘訪中、翌年2月のニクソン訪中、そして、田中・大平の訪中になりました。
中華人共和国の政治的国際環境を、四面楚歌の状態から打破する。これは、国際的な経済状況からの要請でもありました。
そして、1978年に、鄧小平と松下幸之助による、正式会談になります。
両者によってなされたのが、豊かで幸福な未来を創ろうという、ホンモノの人士による 『君子の約束』 です。
両者が北京で、経済協力のために正式にあったとき、その通訳をしたのが、私の大学の先輩で、しかも、入社以来、世話になり、私が北京駐在してすぐに、北京事務所長となった秋田幸作氏。
1978年。鄧小平の来日時、私は、まだ学生でしたが、中国側と松下側から請われて、通訳に当たったのが、秋田幸作氏でした。
鄧小平と松下幸之助の正式会談の様子は、以下に、きちんと報道されているとおりです。
1978年日本の旅――鄧小平氏が訪日で学んだもの (people.com.cn)
私たちは、あの当時の東アジア情勢を決して忘れてはならないでしょう。もちろん、今に至る、「中華」をめぐる、大陸と台湾、さらに、日本国の関係。そして、孫文の死後、日本国の軍部が、退位していた溥儀を強引に天津総領事に連れ出した後、満州国の皇帝に据えるという、大謀略したことを。
その大謀略をした人間の中心の一人が、陸軍の天保銭と満州に規格通りの国家を作ろうとする明治の画策者で、それは崩壊しても、その時の経験は岸信介の意思のなかに残された。
満州国崩壊後、その時の満州の関東軍の上層部は、満州に移住させた日本国民を現地に残しながら、それを放棄し、本人たちはフィリピンに逃げて、そこにある、歴史的な金塊の隠匿に、その軍事力を使ったことを忘れてはなりません。
その金塊は、一部は、台湾に持ち込まれ、1949年に、国共内戦に蔣介石敗れたときは、重慶から、故宮文物をもって、軍事的には、がら空きの台湾島に入り込んで、中華民国政府をなのったことも。その時、麻薬売りで秘密結社化した多くの青幇構成員が、台湾に逃げ込みました。
もちろん、台湾に逃げ込んだ青幇は、溥儀を天津にかくまって以来の日本の陸軍の関東軍の中での、アヘン製造販売の特務とつながっていました。アヘンを売るような人間は、どんな人間か?
少なくとも、大陸を政治的に支配することになった毛沢東・周恩来の中国共産党は、アヘンを完全に否定しました。また、各地に残る、神がかりの神を語って財産を差し出させる淫し邪教を撲滅しました。
しかし、暴力体としての国家権力が強まりすぎると、その権力をかざして、自分の利得のために、目先の人間の人権を完全に無視し、弾圧することが、大陸ではあります。(これは、人類史では、どこの世界でも現れる現象です)
特に、国家という暴力体が、他国から、暴力で、その権益が侵されるときには、自分の支配権を護るために、国内的に、自分の意思に従わせようと、極端な、教条主義的な通達と、有無を言わさぬ弾圧がいろんな形で出てしまします。
それをどう克服するか?
今は、ネット社会であり、しかも、世界中が、それぞれの国家権力(統治体)の暴走を監視する時代になりました。
長くなりましたが、私が言いたいのは、
20世紀の初めから、さらに第二次大戦後の東アジアで。国家の暴力性が発露する危険性を回避して、心の底から、平和構築を願い、それを実践していた、先人がたちがいたということです。
これは、歴史です。事実です。 特に、中国の近代化(経済建設)には、私たち日本は、国家的な贖罪の意味を込めて、かかわったのです。
それに、中国の民衆も、台湾の民衆も、応えて、いまがあるのです。
では、
今の、習近平政権にとって、日本はどうなのか?
特に、経済建設での、日本と、辛亥革命での孫文以来の中国の関係です。
軍事的な緊張、まして、実際の戦闘は、すべてを破壊します。
これは、台湾や沖縄の住民がもっともよく知っています。 危険や危機の芽は、摘んでいく。
いまこそ、「平和憲法を持つ日本国」の出番なのです。それは、原発反対とおもに、私たち、列島に住む、本当の日本文化をになって、、正直な。明るいい未来を築こうとする人間の意思にかかっています。
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松下幸之助と鄧小平の「君子の約束」(1)
タグ:松下幸之助と鄧小平の「君子の約束」,中国 改革開放30周年 松下電器,
発信時間:2008-11-03 11:09:41 | チャイナネット | 編集者にメールを送る
1978年10月28日、小雨の降るこの日、政界と経済界の二人の巨頭の手がしっかりと握られた。一人は改革開放の総設計師である鄧小平、もう一人は経営の神様と呼ばれる松下幸之助である。
最も早く中国に進出した外資系企業として、松下電気産業は中国の改革開放の歴史をその目で見てきた。30年前の二人の年配者の「君子の約束」は、いまでもそう語られている。
鄧小平「教えを請う姿勢で参りました」
松下「何であれ、全力で支援するつもりです」
1978年10月、当時、国務院副総理の鄧小平は日本を訪問した。この訪問の重要な目的は、日本企業の近代的な生産の様子を視察することだった。
鄧小平にとって、近代化とはまず電子工業化である。だが、当時の中国は、自動車生産の電子化は言うまでもなく、家電生産もまだ手作業の段階にあった。テレビや冷蔵庫、洗濯機は三種の神器と呼ばれ、庶民は購入するのに順番を待たなければならなかった。
鄧小平のこの訪問に、日本の一人の伝奇的な人物がずっと強い関心を寄せていた。日本産業界で「経営の神様」と呼ばれる松下幸之助である。
松下幸之助に、鄧小平も強い興味を抱いていた。視察に訪れた3番目の工場は、松下電器産業の大阪・茨木にあるテレビ工場だった。
1978年10月28日、83歳の高齢で、すでに「第二線に退いていた」松下幸之助は小雨の中、工場の正門で鄧小平を出迎えた。
松下電器産業の当時の映像資料を見ると、鄧小平は階段を上る際、後方にいる松下幸之助に手を差し出した。そのあともかなりの間、二人の手は握られたままだった。そして、鄧小平が別の手を握ると、松下幸之助は鄧小平にお辞儀をして謝意を表した。
その後、鄧小平はカラーテレビや高速ファクシミリ、漢字プログラムシステム、ビデオカメラなどの製品を視察。ゆっくりと回ったのは、製品の生産過程を詳細に見るためだった。
従業員が当時のハイテク製品・レンジを紹介。わずか数秒で1個のシュウマイが湯気をたてながら出されたのを見て、鄧小平はすぐに手にとり口に放りこんだ。
鄧小平のこの動作に、松下幸之助は思った。この中国の指導者は実に人間らしい、表面をつくろうことをせず、試食までしてくれた――。
松下電器産業との会談で、鄧小平は当時の中国の立ち遅れた現実を忌憚なく語った。「私たちはほんとうに教えを請う姿勢をもってあなた方とお会いすることにしたのです」
さらに鄧小平は「中国はこれまで対外債務はなく、国内債務もなく、非常に誇りに感じています。今後、私たちは近代化しなければならず、自力更生のもとに、外国の技術や資金を導入することにしています。電子工業がなければ、近代化は実現できないので、あなた方の電子工業を私たちの方に持っていきたいと思っています」と語った。
その率直さに、松下幸之助はいっそうの親しみを感じた。だからか、鄧小平が「松下老翁、中国の近代化建設にお手伝いいただけますか」と問うと、松下幸之助は即座に「何であれ、全力で支援するつもりです」と答えた。
これを聞いた鄧小平は満面笑みを浮かべ、結構なことだと何度もうなずきながら、松下幸之助に中国訪問を招請し、松下幸之助は喜んで受け入れた。
喜びここに至り、鄧小平は日本の友人の要望にこたえ、茨木工場の記念冊子に題字を寄せた。「中日友好前程似錦(中日友好の前途は洋々たり)」
(文中敬称略)
「チャイナネット」2008年11月3日
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