年末年始の未来創庵。今年は執筆のため中止します。執筆応援は歓迎です。

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 新井史観の骨子は、すでに、処々でお話ししていますが、まとめを急いでいます。
大枠で言うと、地球の人類社会では、巨大河川沿いで農業が始まり、農業のもたらす巨大生産力が王権をもたらした(これが、文字と金属でさらに強化された)が、
 これと、日本列島に1万年続いた縄文文化が、どう出会い、どのようにして融合し、何が契機として、新たな王権をうみだすに至ったか、ということです。
3000年前に、日本の西側に稲作(水稲)が入り込んだときは、まだ、列島の琵琶湖以東には、色濃い縄文の感性が残っていました。
それから500年を経た春秋時代、日本列島は、孔子が憧れた地でした。
その後の戦国時代に、大陸の戦乱・混乱を逃れたものは、浙江や山東から列島に向かい、そうしてやってきた渡来人を列島民はどう迎え入れたのか? 
 6300年前の喜界島の大爆発の影響で九州は元々、人口は少なかったが、瀬戸内や関西地方はどうだったのか?
それよりも、
そもそも、中国大陸に大きな王権を発生させたのは、中国独自の作用だったのか? アブラハムから始まるヘブライ(シュメール・エジプト)とは関係ないのか?
農業人口は、古代では、そのまま、兵員の人数になります。
それを、どう組織化し、一つの意志の下に、有機的に、戦略的に使うか?
中国大陸では、孔子の時代から、始皇帝の時代、さらに、前漢の劉邦から後漢の献帝=曹操の時代まで、多くの権謀術策が繰り広げられました。
その時、列島民は、圧倒的な文明力を持つ彼らに、どう対峙したのか?
答えは、相手の心の 周波数 を 読むことでした。
  それが、 観音(音を観る)、これは、その人間の心や体の響きの形、
  つまり、波形を見ることでした。
相手の心の周波数が、暴虐で、荒々しいものならば、そばに寄らない。隠れている。
 そして、相手が飢えて困ったら、視野に入るところで、まだ距離のある遠くで、子供に食物を食べさせ、大半をそこに残しておく。
 子供に食べさせたのは、安全であることを、見せるため。
腹をすかした渡来人は、力を振り絞ってその食料をもとめて歩み寄り、それを食べだす。
そのころ、森の陰から、子供を抱える母親がそっと顔を出し、渡来人の表情が変わるのを遠巻きに見る。
空腹が満たされた渡来人は幸福感が満ち、自分に恵みをくれた人間に、感謝の念が自然と沸き起こる。
人間の波動が変わった。穏やかになる。相手と和解したいとする周波数になる。
その時まで、待っていた。
私は、これが、本来の縄文人だ とおもいます。
そうして、融合していった、大陸の人間と、列島の人間。
そこに、大陸の権力者の命を受け、軍事侵攻の意志を持ち、兵糧まで持ってくる兵士が現れると、どうなるか?
 
 縄文人は、周波数を読んでいる。
どうも、これまでの渡来人とは、明らかに違う、と、部族を越えて、共同で一斉に防衛線を張る。
異なる営みをしていた、森の民も、海の民も、沼の民も、皆、その荒々しい波動から、身を護るために防御的に、一つになる。 これは、共同防衛。
 これが、日本列島に最初に、王権の原型ができたとき。
 その場所は、縄文と弥生が溶け合った地。北信濃の高社山の西麓。
そこで、生れたのが、「ニギハヤヒ」という呼称の地位。これは、敵に立ち向かう腹を持った、後に引かない男の立場。しかし、主導権をもっていたのは、翡翠のひびきで、全ての生命の調和をいつも目指していた、女性の長。イノチのこころ、波形をみつめていた、それが、縄文の女神、ヌナカワヒメ。
 古事記にある、大国主とは、列島以外から来た、文明(農業・金属器)をもたらした長の総称。オオナムチ(エフライム)も、大物主(ダン)も、この名で書かれた。
 それが、ヌナカワヒメと出会った。(アマテラスの中に、この響きまで取り込んで伝えている)
このあとに、BC219に、始皇帝の下を離れた徐福の列島入り。これは、静かな溶け込みだった。
しかし、さらに百年たった前漢武帝の時は、違った。共同防衛で「ニギハヤヒ」が誕生した。これは、BC109年のこと。
 で、問題。 「国産み」、「国譲り」は、いつなのか?
これと、〔天の岩戸〕が、関係します。
今、宮崎県の高千穂町では、長野県の戸隠との交流を深めています。
タジカラオが、投げ飛ばした〔天の岩戸〕が、記紀の記載のみならず、地元の伝説で、長野県の戸隠に落ちた、とされているからです。
 「〔天の岩戸〕を、返してほしい」 
高千穂の人は、戸隠の人に、このように話します。
さ~て
 この「天の岩戸」とは、いったい何なのでしょう?
「岩戸開き」とは、事実史で、一体、いつの故事をさしているのでしょうか?
また、戸隠とは、いつのことで、それは、何を隠したのでしょうか?
 わたしはこれを、
紀元3世紀の中頃、ちょうど、卑弥呼が、帯方郡に使者を送ったあとの、
ある人物が、日本列島に到着し、そこで基盤を整えた後、高千穂の地で、「あらたなクニ造り」を決意し、それを「実際の行動におこす儀式」が、「岩戸開き」で、
そこから始まって、この縄文の精神性を柱に、大陸での「文明」を取り込んで、あらたな神聖さを持つ権威となって、
今度は、列島発で、大陸全体までとどろく、すべての部族統合する、大きな「和の宗(いえ)」を作ろうとしていた意志ができていたが、
 それが中断し、その意思は、列島内だけに、留め置かれ、隠されてしまった。
それが、〔岩戸隠し〕の 意味だ と、考えます。
これが、686年の天武の死になります。
天武は、唐の高宗との決着に備え、北信濃の今の戸隠の地に、そのときの決戦のために、籠城先として、城を造る計画を進めていたのです。
それが、戦いを嫌う、列島と大陸の女たち、額田王、持統、武媚娘(則天武后)によって頓挫します。このときに、知恵を出したのが、
後に、アメノコヤネという名で、神としてまつられる不比等でした。
 今の長野善光寺の地は、戸隠への入り口です。
そこは、ウマヤドの霊を、蘇我馬子の娘、刀自古郎女(トジコノイラツメ)が弔ったのが始まり、というのが、善光寺の大本願が伝えるところです。ウマヤドは、実際にはこのとき高句麗に移っていますから、その無事を祈ったということでしょう。
 一方、ウマヤドが最も愛した女性に、膳傾子(かしわで の かたぶく)の娘の、膳 菩岐岐郎女(ホキキノイラツメ)がいます。彼女は、大彦の直系子孫であり、縄文の響きが分かります。景教徒であるウマヤドの母、穴穂部間人にとても気に入られ、二人は本当の親娘のように慕っていました。620年に穴穂部間人がなくなると、翌年、ウマヤドが日本を去る決意をしますが、これを聞き、ホキキは自害します。
ウマヤドのことを、どう、史書に記すか? 本人は、突厥とペルシャの混血、タルドウでした。
古事記は橘寺で生まれたと書きそれで終わっています。その業績には触れないままでした。これは大陸の王朝が712年に、周から唐にもどり、玄宗李隆基との衝突を避けたかったのです。717年に遣唐使を派遣し、玄宗にその意向を確認に行っています。これは、不比等の三男、宇合の仕事でした。
日本書紀の中で、ウマヤド(タルドウ)を、神=救世主の地位にまで「神上がり」させる。
日本生まれで、日本で死んだことで、完結させる。
これは、日本(不比等)と唐(玄宗)の同意事項でした。
で、さらに、問題です。
中国大陸に始皇帝が生まれた時から、実は、満州の地(吉林)には扶余があり、そこから、BC37に先に高句麗が、そして、3世紀に百済が分れます。
高句麗は、この中華皇帝の誕生後の経緯と、日本列島での、王権の誕生と、さらに、ウマヤドの登場までずっと見続けてきたのです。そのシンボルが「三足烏」。神の獣が「白鹿」です。
そして、日本書紀で天武とされた淵蓋蘇文は、そのウマヤド(タルドウ)が、列島を離れた後に、高句麗で儲けた男児だったのです。
 日本発の神聖さを世界に出すとの父の思いを受け継ぎながらも、それは、未完のままで終わった。それが、天武の臨終年に、元号として、「朱鳥」を不比等が着けた意味です。
高千穂のみなさんが今、求めるように、北信濃の戸隠に隠されたままの「天武の思い」を、今こそ、世に出さねばなりません。
それは、また、三国志の諸葛孔明の最期から始まる、東アジアのドラマに、日本列島が、積極的にかかわる始まり でもあったのです。
それゆえにか、昨年9月20日、今上陛下は、埼玉の高麗神社に参拝しているのです。この神社の正式名称は「高句麗神社」です(現地に行って確認して下さい)。
 「天の岩戸」の始まりと、終わり。これを、はっきりさせる。私の仕事です。

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この記事を書いた人

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。