面白い情報が来た。
タリバンが、米軍の装備をしていると。誰かが、ちゃんと軍事訓練しているのじゃないか、と勘繰られます。それは、裏に回っているあの勢力でしょうね、きっと。日本でも今年節分(2月2日)からは、特殊部隊の作戦に傭兵のボランティア参加があったようですし。
ここにある写真は、
1941年(昭和16年) 開戦の詔勅 12月8日、真珠湾攻撃
1942年(昭和17年)2月15日、日本軍はシンガポールにある連合軍の最終防衛線を突破。山下奉文が「イエスかノーか」
8月 西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って、日本と連合国が戦闘。現地人の徴用が加速。
日本軍は、敗戦といわず、「転進」と呼んで、戦線を引き下げだす。
1943年(昭和18年)すでに戦況が悪化した中、5月31日 御前会議 で 大東亜政略指導大綱がに決定。
大東亜会議 この年、11月5日 – 11月6日に東京で開催されたアジア地域の首脳会議。
1945年2月19日 – 1945年3月26日 硫黄島の戦い。 ここで、米軍が攻略し、星条旗を立てた。
この硫黄島での戦闘のさ中、インパール作戦が決定。死ななくていい若者、特に学徒動員が決定。
1944年(昭和19年)インパール作戦 3月に 帝国陸軍により開始、7月初旬まで継続された。援蔣ルートの遮断を戦略目的として、イギリス領インド帝国北東部の都市であるインパール攻略を目指した作戦。作戦に参加したほとんどの日本兵が死亡した。