日本列島の王権が、3世紀にできた倭国の大王から脱し、「天皇」、そして、「日本国」が誕生する時、
大活躍するのは、不比等ですが、 重要な動きをした三人の女性がいます。
天武の后だった鵜野讃良(持統)、
天智と天武に愛された額田王、
そして、史上初めて女性で皇帝になった武則天(則天武后)。
いずれも、きわめて魅力的な大人物ですが、その中でも、額田王が気になります。
なぜ、「額田」 なのか?
「額」 と 「田」
額 は、 脳という意識空間と、 自分の外側の現実世界を 結ぶ、窓口です。
この額の奥(内側)に、「直感の核」となる、 「慧根(フイ・ケン・・・中国語)」 があります。
ここが、真実・真相をキャッチする、重要ポイントです。
「ひらめき」や「覚醒」 は、ここで行われます。
自分を取り巻く大宇宙・・・マクロコスモス、
自分の肉体 小宇宙 ・・・ ミクロコスモス、
自分の精神宇宙 ・・・ マイクロコスモス、
この三つが同じ周波数の響き(根源波動)で貫かれた時、 色鮮やかな光 と一体になった感覚になります。
4800年前、日本列島で火焔型土器が作られた頃、長江の下流域では、広範な地域で大規模の稲作が浸透し、佳境を迎えていました。まだ金属器はないのですが、このとき、見事な玉器による文化体系ができました。
良渚文化です。
稲作によって、莫大な穀物生産がありましたので、階層が生まれ、そこには大王がいました。
その王の顔が、玉器 に描かれているのですが、 これには、額のところに、さらに顔が描かれています。
その顔が、手を持っていて、本来の目を抱えている様子が描かれています。
(良渚文化は4000年前に発生した大洪水で滅亡します。同じ時期、青森の三内丸山の栗栽培も滅亡しました。)
一方、わが国が、701年に大宝律令をもったあと、平城京に遷都し、古事記・日本書紀を編纂し、
聖武天皇が即位し、宇佐神宮に社殿をつくったあとに、東大寺の大仏が造られます。
ここには、御存じのように、二月堂 と、三月堂 が併設されました。
三月堂は、別名、法華堂です。 ここには、以下のような見事な観音菩薩立像があり、
その菩薩の頭に、さらに、仏がいる宝冠が載せられます。ここが、勾玉などで、飾られています。
これは、ホトケの額に、さらに、もう一人のホトケ がいる姿です。
(不空羂索観音菩薩立像 と その宝冠)。
これは、私たちの「こころの宇宙」が、
そのまま、「宇宙の大本」と繋がっていることを示しているのではないでしょうか。
未来は、私たちのこころが創る。
この二つは、そのことを、いまも、私たちに語り続けているのではないか。
ちなみに、この法華堂の菩薩像の下には、日本製の「海獣葡萄鏡」が添えられていました。
こうした意味を、仙台では、話したいと思います。