ここで書けることは限られていますが、どうも、誤解が生じているようなので、書きます。
5系統の中で、「ニギハヤヒ」の系列にあたる、玉置・諏訪系統の方には、縄文の血が他に比べて色濃く入っています。私は、「玉の巫女」の系統といいます。
これは、春日大社の四柱とは違います。
これまで、最初に「ニギハヤヒ」が誕生する時も、さらに倭国になるとき(国譲り)も、そして、正規にユダ族を迎え入れるとき(応神)も、縄文時代のヌナカワの霊性は生かされていました。
690年に、ウノササラ(持統)が伊勢神宮を整備したのち(これが第一回の遷宮とされますが)、何で31回も吉野に通ったのか? そのことを、日本書紀は書いたのか? そこには、縄文のヌナカワの霊性を継ぐ巫女がいたからです。
彼女たちは、国譲り以来、誰が大王になっても、その人間がイノチを無視しているときには、「失格」の判定をして、それを、実行させてきたのです。 日本が、ww2で終戦に向かった時にも、その機能はありました。
その機能が、いまでも存在していると、私は信じたい。 「奥の院」5系列の中で、ここは特別です。
歴史的には、道鏡事件で奈良朝の最後の場面でここの意志が出てきました。敏達~犬養三千代の血を引く藤原北家の永手は、 井上内親王の夫ということで白壁王(光仁)を天皇にしましたが、その白壁の側室の高野新笠との息子である山部王(桓武)を表に出そうとする百済系部族が、藤原式家と組んで、井上内親王を廃后にしたとき、本当に怒ったのが、ここです。
藤原式家が百済系とともに造った長岡京では、悲劇が続出。桓武は和気清麻呂の忠告にようやく真剣に耳を傾け、山代(京都)にある秦川勝邸に御所を移す決意をします。そして、そのとき、縄文以来の霊性、さらに、この日本列島での王権継承の仕組みを知ります。 桓武の弟だった早良親王は、奈良でそのことをよく理解していました。
今、ようやく、5系列の中で、ここが力を持ち出したようです。 彼らが、サンカの大元様と、一番近い。
「お盆」過ぎには、キャロライン・ケネディーが日本に来ます。それまでに「掃除」しておきたい、ということなのでしょう。
8月18日(日)には、北信濃で、「縄文~シリウス コズミック・セレブレーション」があります。 この地方は、縄文ヌナカワが、稲作民、さらに、始皇帝の戦乱を逃れてきた「越」系統の人間とともに創り上げた最初の「豊饒の地」でした。
そして、震災後に全国で歌われた、唱歌「ふるさと」 の、ふるさと です。