今の日本政府(既得権益層)は、マネーを無制限に発行する一方、 放射能については、「風評」の言葉で批判をゴマカシ、遺伝子を傷つけたままです。これは、イノチよりもカネを最優先している結果です。 グレア博士の勇気を、私たちは学ばねばなりません。
「シリウス」と「ディスクロージャープロジェクト」の位置づけ。
こんにちは。
さきほどのブログの内容について、閲覧者から以下の指摘がありました。
>今日の新井さんのブログの
「アメリカの正式な国家事業であるディスクロージャープロジェク ト」
の表現は、不正確じゃないのかな?
アメリカ政府が公式に認め秘匿情報を公開せよと運動している結果 が、今回の映画に結実した。
・・・ということが正確なのでは?
これはそのとうりです。 国家プロジェクトとなると、通常、(権力者側が)国家予算をつけて大々的に進めるものですから、私の表現は、行き過ぎでした。
2001年からのグレア博士の勇気と使命感と弛まぬ奮闘が、今回の成果をもたらしています。
アメリカでは、建国以来の国家権力者が謀略を振るいますが、それに対し、市民が反発し、国家権力の形そのものを動かします。 国家は、自分たちが作っている、自分たちには権利があるとの自覚ががるためです。
日本の場合、「権力」に対する自覚は、なかなか生まれません。
すぐに、依存の対象にしてしまうからです。特に、日本語で、「市民でなく、国民」と考えた時、そこには、自分自身を、国家に従うべき存在、そして、国家から恩寵を受ける存在との潜在意識がかなり強く生まれています。 これは、明治維新のときに作られた「天皇」の位置づけが、影響しています。
映画「シリウス」によるディスクロージャーで、私たちがもっとも目覚めなければならないのは、宇宙と人類の関係を冷静に知ることで、 日本という国家=統治体における、私たち自身があり方です。
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。