「固有の領土」はあるのか?実効支配と条約は、どうなのか?

昨日の書き込みに追加します。

ポツダム宣言を受け入れたとき、日本国は、何を放棄したのか?

その前、日本国は、どこまでが領土、領海だったのか?

統治体は、どうやって、生まれるか?

そして、 どのようにして、固定化し、認められるか?

戦争によって、力づくで奪ったものでも、相手や周辺国から認められたときに、領土領海として確定する。

そして、また、戦争で負けて、領有権を放棄すれば、それを失う。

今回の場合、問題は、日本が敗戦で、領有を放棄した後、その地は、誰の領有となたのか?

昨日の記載で、私の表現で、間違っていた部分がありました。

 「台湾の中華民国政府に、日本が1952年に、尖閣の領有権を返還した」という部分です。

日本国は、ポツダム宣言を受け入れたため、戦後は、主権の及ぶ範囲が、4島(北海道、本州、四国、九州)と、連合国(実際は、米英)が決定する諸小島に限られました。

 これで、ミズーリ号での降伏では、それ以外の領有権が、すべて放棄されました。

ここで台湾島も放棄され、台湾は蒋介石の国民政府軍が入り込むまで4年間、政治的な空白状態でした。この島に住む日本人は、日本本土に戻る準備の期間となりました。これは、北方四島も同じでした。

重慶で国共内戦を指揮していた蒋介石は、1949年10月1日に北京で毛沢東が中華人民共和国の成立したあとの12月、成都に逃れ、ここから息子の経国をつれて台湾に逃れてきた。 その前に国民党政府軍の主流部隊は、上海の沖にある舟山群島や福建省から台湾に入り込んでおり、蒋介石を迎え入れて、ここで中華民国は台北遷都となった。

 これは、日本が放棄した政治的空白地帯に、蒋介石の統治体が、新たに誕生したものでした。

 この時期の台湾を舞台にした名作映画に『非情城市』があります。http://www.youtube.com/watch?v=XLcnPS3FgNo

翌年3月に蒋介石は総統に就任したが、この政権をアメリカを承認し、1951年にサンフランシスコ講和条約に中華民族の代表政権として参加を支持したが、イギリスは北京政府を支持したため、結局、両政府とも参加しなかった。

翌年、日本政府は、この台湾の蒋介石と講和条約を結んだ。このとき、尖閣が台湾政府のものとして含まれていたというのが、昨日紹介した大先輩の見方ですが、実際はどうなのか? 

尖閣は、かつての琉球王国時代は、間違いなく琉球が領有していました。このことをもって、日本国の「固有の領土」という人がいますが、琉球は江戸時代には独立した統治体でした。「固有の領土」という概念も、戦後の日本で、生まれたものでした。

 領土問題の基本は、 実効支配 と 条約 です。

戦後は、かつての琉球王国の沖縄は、1945年の日本の降伏を受けて、国連の信託統治(実際は、アメリカの統治)下にありましたが、このあと、1945年の台湾の中華民国政府の成立時に、

① アメリカは、尖閣を、すでに、台湾政府のものとして認めていたのか?

② アメリカは、尖閣を、信託統治下の琉球(沖縄)のものとして、まだ、台湾に返して(渡して)いなかったのか?

③ 日本が1951年に独立を回復し、52年に台湾と講和条約を結んだ時、すでに、日本が持っていた台湾島の主権(領有権)は放棄され、沖縄全体については、アメリカが統治下に置いていたので、日本国の主権は及ばない状態であり、尖閣の領有権は、日本国からは放棄されたままになっています。

 よって、「尖閣を、このとき返還した」という表現は、不適切でした。

 問題は、このあとです。

 1953年に、台湾とアメリカで、何が話されたのか? 私たちは、これを確認しなければなりません。

 そして、1971年の7月に、北京政府に対し、尖閣について、日本には領有権はないが、施政権はあると説明したキッシンジャーの意図は何だったのか? 本人を引っ張り出して、確認するしかない。

 しかし、こうした過去の経緯も大切ですが、現状を、どうするのか?

中国に進出した日本企業、なかでも中小企業は、これから中国経済が停滞するといっても、すぐに日本に戻って、すんなり事業が始められるわけではありません。日本がダメだから、中国に行ったのです。また、すぐに中国の会社をたたんで、ミャンマーやカンボジアに移すことも、資金とリスクがかさみ、簡単ではありません。

中国国内には社会の矛盾が大きく、今回の共産党によるデモ容認(実際は、デモ動員)が、一時的なガス抜きどころか、国家転覆にまで発展しかねない事態も見えはじめました。

なにより、中国でのデモは、日本の毎週金曜日に首相官邸に対するデモとは、全く比較にならない次元のもので、そこには、「破壊行動」を平気でする人たちが、とんでもないくらいの数で暮らしています。それが中国なのです。

尖閣の問題は、いずれ起こることでした。 

それにしても、「911」に、野田ドジョウは、尖閣を日本国の国有地として登記してしまうとは、本当に、一体、何を考えているのか。

私はすでに書いた様に、東アジアに、無国籍地帯をつくることを、提案します。 

まず、この考えを、日本、台湾、中国、アメリカ、そして、世界中の人間で、共有するのが、先になります。

まあ、振り上げたこぶしを降ろさせるには、周りの環境を、こぶし自体を、ばかばかしい、と思わせるものにしないかぎり、これは達成できないでしょう。

 

 

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この記事を書いた人

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。