こんにちは。
今年最後のジャパネスクが、12月12日(日)、京都の遊子庵で行われます。
6000年前から続く人類の文明史の中で、 日本列島に特異だったもの。
それが、イノチを感じあう感応力で、私達はそれを、ヌナト「瓊音」と命名し、
このヒビキと、ヘブライ人の接触が、勾玉を生みました。
それに対し、中華皇帝の権威を後盾にして、日本列島内で自分の支配権を誇示するのが、
銅鏡です。
卑弥呼が「親魏倭王」に条件付でなったとき鏡をもらっていますが、これが238年でした。
以後、日本では銅鏡の製作が盛んになりましたが、1723年の宇佐神宮への奉納を最後に
終わっています。
それよりも前、日本列島に、紀元前1世紀から3世紀中ごろまであったのが、銅鐸です。
こうした、勾玉や鏡に加えて、皇室の神宝とされるのが、鉄の「剣」です。
スサノオノミコトが記紀の神話編に登場し、アマテラスが治める高天原で大暴れして、
天岩戸隠れになり、世の中は真っ暗闇に。
その岩戸は、タチカラオによって、宮崎の高千穂から長野県の戸隠まで投げ飛ばされた、
ということになっていますが、
問題はこのあと、人間の世界に現われたスサノオが、ヤマタノオロチ退治に向かうこと。
酒で酔わして首を斬り、その体から「天ノ叢雲(ムラクモ)の剣」を取り出し、これが
皇室に伝わります。
この「剣」は時代が下がって景行天皇の時、ヤマトタケルの東征で使われ「草薙の剣」の
名を得ますが、タケルはこれをミヤヅ比賣に渡した後、伊吹山に現れた山ノ神「大イノシシ」
に対して、これをもたずに立ち向い、その毒気で絶命します。
この「神剣」は、ミヤヅ比賣によって、名古屋の熱田神宮に奉納されたことになるのですが、
さらに時代を経て白村江の戦い(663)の後、高句麗滅亡の年(668)に盗難事件に遭います。
これが戻ったのは、天武が死んだ後の、持統即位のとき。
記紀の神話編から、皇祖神アマテラスの登場まで、この「剣」が関わります。
これは、一体、何を意味するのでしょうか?
時代を切り開く、重要な意味が、ここには込められています。
日本史の真実が、浮かび上がってきます。
12月12日は、「スサノオ」と「神剣」です。
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。