戦後の日本国政府は、「平和国家」の表看板の裏で、核兵器開発を進めていました。
2011年3月8日のインデペンデント紙に、石原都知事へのインタビュー記事があります。
石原都知事: 「日本は核兵器を開発すべきだ」
Japan must develop nuclear weapons, warns Tokyo governor By David McNeill in Tokyo Tuesday, 8 March 2011 出典 The INDEPENDENT
In an interview with The Independent, Shintaro Ishihara said Japan could develop nuclear weapons within a year and send a strong message to the world.
このインタビュー時点の当時、石原知事は辞任を表明し、元神奈川県知事の松沢氏に譲る約束をしていました。
この記事が出てすぐに、アメリカから対日政策の最高責任者のカート・キャンベル国務次官補が急遽、東京に向かい、3月9日に到着し、すぐにアメリカ大使館に入りました。10日に、石原は辞任を翻意し、11日の午前中に続投の記者会見をしました。
その日の午後2時46分に地震が発生です。
3月8日の時点で、「これはえらいことになる」と、判るものには判ったのでしょう。
この辺の事情を、当時の民主党政権のトップだった、菅直人や仙谷由人は、全く語りません。、
日本には、国家として、核ミサイルを持たせてはならない。
これが、ヒロシマ・ナガサキから始まった、金融ワンワールドの意思でした。
戦時中、日本でも核兵器を開発している中、あえて、被爆国・敗戦国にしたのは、昭和天皇でした。
しかし、終戦後も、敗戦を受け入れられず、隠れてとんでもないことをしていたのが日本の軍部。
東電のフクイチがその舞台であることを、小泉も安倍も知っていたでしょう。
イスラエルのマグナBSPも承知。
そのうえで、これを破壊するために、「311」の前までに、フクイチに、壮大な仕掛けを造っておいたのでしょう。
そして、民主党の菅直人政権のとき、この石原の言説が世界発信されたことをきっかけに、ゴーサインが出たと、考えるのは、想像にすぎますか?
さらに、このときの地震のあとの、
フクイチ爆発と放射能拡散まで、事前に予想されていたのではないでしょうか?
そして、フクイチ爆発後に、日本では、放射能の「封じ込め」を、判断できなかった理由は何だったのか?
・30歳未満の人間を即刻全員避難の手配。
・村落ごとに、移住先で新規生活に移るように、政治決断をすることは、できたはずです。
移動を望まなかったのは、「スピーディー」の公開を拒んだ福島県でした。
これで、そのあとの国策での方向が、すべて決まってしまいました。
あれから、もう、すでに、5年3か月以上が、過ぎているのです。
石原慎太郎 は、 なんやかや、司法とメディアから守られ続けています。なぜでしょう? 同氏は、
尖閣でも、東京都が購入すると言い出し、野田政権を慌てさせた。
「311」直後に、これは天罰だ と、大声で吠えていた。
そして、今、田中角栄の礼賛本を出版しています(本人が書いたかどうかは、知りませんが)。