アメリカがなぜここまで HUAWEI 華為に攻撃的になっているか、を暗示する極めて重要な<野口悠紀雄氏>インタビューです。中国とアメリカの相克の現場とともに、「311」以後のごまかしの果ての「忖度」「お友達」政治で、今の日本がどうなっているのか、全体像を示しています。
全面転載します。
ハーバービジネスオンライン 2019/05/22 米中新冷戦の間で、存在感を失った日本が生きる道とは?
<野口悠紀雄氏>
◆存在感をなくした日本は米中の間でどう活路を見出すべきか?
世界における我が国の存在感は、平成の30年間で一気に低下した。
いま、米中両大国の覇権争いが熾烈に成る中で、日本はトランプ政権の対中新冷戦外構に追随しようとしている。その道は本当に正しいのか? 5月22日発売の『月刊日本6月号』では、「米中の間で、どうする日本!」という第一特集を打ち出している。
今こそ、対米追従外交と決別し、自主外交への転換を視野に入れて日本は動くべきではないか?
もはや、日本の外交政策も経済政策も必要なのは大転換である。どうすれば日本は世界における存在感を回復できるのか? 日本の進むべき道を識者に聞いた同特集から、野口悠紀雄氏へのインタビューをここに紹介したい。
◆日本よ、早く目を醒ませ!
── 野口さんは『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎)において、日本経済の失われた30年を浮き彫りにしています。
野口悠紀雄氏(以下、野口):この本の中で私が最も言いたかったことは、平成の時代を通じて、世界の中での日本の経済的な地位が低下していったということです。日本が努力したけれどもだめだったのではなくて、世界で大きな変化が生じていることに、日本が気づかなかったために、取り残されてしまったということです。日本は30年間、眠り続けていたということです。そして、未だに眠っているのです。だから、「早く眼を醒ませ」と言いたい。
中国のGDPは1990年には日本の7~8分の1に過ぎませんでしたが、2016年には日本の2.3倍に拡大しました。また、中国の一人当たりGDPは1990年には日本の82分の1でしたが、2016年には日本の約2割にまでなっています。
しかし、むしろ重要なのは、すでに工業化していた先進国であるアメリカが、著しい勢いで成長したことです。アメリカのGDPは、1990年には日本の1.9倍でしたが、2016年には3.8倍に拡大したのです。また、アメリカの一人当たりGDPは1990年には日本の約95%でしたが、2016年には日本の1.48倍に拡大しました。
日本は1980年代に輸出で世界を制覇しました。その結果、多くの日本人が「日本は優れた国だ」といい気になってしまったのではないでしょうか。ところが、すでに1980年代には新興国の工業化が始まっていたのです。韓国、台湾、香港、シンガポールの「アジアNIES」に続いて、中国が工業化を始めていました。1970年代末に、鄧小平が「改革開放・現代化路線」を掲げ、政策の大転換を始めていました。1990年代の半ば以降、中国では国有企業の改革が進み、1990年代末には、中国の多くの産業分野で、新しい企業が生まれ、成長していきました。一方、1980年代から90年代にかけて、IT(情報技術)革命と呼ばれる大きな変化が進行していました。
こうした変化に対応して、日本の製造業は新しい条件に適応した構造に変化することが必要でした。それまでの製造業の生産方式の主流は、一つの企業が工程の最初から最後までを行う「垂直統合型」でした。これに対して、複数の企業が様々な工程を分担して受け持ち、あたかも一つの企業のように生産活動を行う「水平分業型」が、新たな新たなビジネスモデルとして登場しました。
その象徴的存在がアップルです。同社は垂直統合型でPCの生産をしていましたが、2004年のiPodの生産から水平分業に転換したのです。アップルは、製品の開発と設計、販売に集中するようになりました。アップルの設計のもとに世界中の企業が部品を生産し、フォックスコンが中国で組み立てるのです。「ファブレス」(工場なし)という新たな製造業の誕生です。ところが、日本の製造業はこうした変化に対応できなかったのです。
── 日本経済は小泉政権時代の2002年1月を谷として回復に転じ、2008年2月まで戦後最長の景気となりました。
野口:この景気回復は、それまでの景気拡大とは異なる特徴を持っていました。まず、輸出の増加が経済成長を牽引したことです。それを支えていたのが、円安です。その少し前までは円高だったので、日本の製造業は経営不振に苦しみ、海外に生産基地を移転していました。ところが、円安になると、その流れが逆になり、工場が国内に回帰したのです。しかし、円安は一種の「麻薬」です。当時私は、日本が衰退の本当の原因を追及しようとせず、その場しのぎで円安を求めていたことに強い違和感を抱いていました。
小泉内閣は「聖域なき構造改革」を掲げ、規制緩和と民営化を進めたとされています。小泉内閣は、確かに郵政民営化を推進しましたが、郵政事業は小泉内閣の登場前に、すでに国営から公社の事業に移っていました。小泉内閣が行ったことは公社を会社形態にしただけです。つまり、小泉内閣時代に、経済的に意味がある改革がなされたわけではありません。小泉内閣は、低金利と円安政策によって、古い産業構造を温存してしまったのです。
◆世界の変化に対応しなかった日本
──野口さんは、2004年から翌年3月まで、スタンフォードで過ごして、日本の立ち遅れを実感しました。
野口:私は、1960年代のカリフォルニアを知っています。当時、カリフォルニアは製造業の中心地でした。しかし、2004年にはカリフォルニアから工場がなくなり、それに代わってIT革命の中心地シリコンバレーが生まれていました。スタンフォード大学はサンフランシスコの南約100キロの、サンフランシスコ湾に面したパロアルトという町にあります。同大学の卒業生や関係者がIT産業を立ち上げたことにより、シリコンバレーは形成されていきました。
カリフォルニアに滞在した1年間で、工場を見たのはわずか1回だけでした。かつてフォードの自動車工場だった場所はショッピングセンターなどになっていました。しかし、日本では未だに東京から大坂まで新幹線に乗れば、沿線は工場の連続です。古い製造業にしがみついた日本と、痛みを伴いながらも、いち早く産業構造を転換したアメリカの違いを痛感する機会でした。
──今や、アメリカのGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)、中国のBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)が急成長しています。ところが、日本のIT産業は立ち遅れてしまいました。
野口:立ち遅れたというより、日本にはそうした産業が未だにないのです。古い産業構造を維持した結果、世界から取り残されてしまったのです。私は強い危機感を持っています。
── 2008年のリーマンショック以降、日本の製造業は政府への依存を深めました。
野口:製造業に危機が及ぶと、製造業はあからさまな補助を政府に要請しました。これに応えて、政府は雇用調整助成金の支給額を引き上げ、企業の余剰人員を雇用し続けることを奨励しました。また、不振企業に対しては、企業再生支援機構を通じて直接的な補助も行いました。
政府は、自動車に対しては、エコカー減税とエコカー補助金制度を導入して、支援しました。さらに、2011年の地上デジタル放送への完全移行という形で、テレビ受像機の買い替え需要を喚起しようとしました。政府によるこうした支援は、高度成長期にはなかったことです。
つまり、政府はこうした支援によって、従来型の企業の生き残りを助け、結果的に新しい産業や企業が生まれるのを阻害したということです。
◆物価目標をやめ、実質賃金上昇率を目標とすべき
── アベノミクスをどう評価していますか。
野口:アベノミクスは、日本経済を持続的な成長経路に乗せることには失敗しました。第二次安倍内閣で、企業利益は増大し、株価は上昇しました。しかし、それは帳簿上の利益が拡大しただけで、量的な拡大を伴うものではありませんでした。
本来目指すべきは、消費主導で成長する経済を作ることです。しかし、賃金が上昇しないので、消費が拡大しません。
また、零細企業の売り上げが伸びなかったために、人員が削減されました。私は、その労働力が、大企業に移る際に非正規化したと考えています。そもそも、飲食、サービスなどの零細企業の売り上げが伸びないのは、消費が増えないからです。こうした悪循環を断ち切る必要があります。
物価上昇目標をやめ、むしろ物価を下げる政策に転換する必要があります。そして、実質賃金上昇率を目標とすべきだと思います。
── 異次元金融緩和政策については、どう考えていますか。
野口:新聞などでは、「異次元金融緩和によって市場に大量のマネーが供給された」と説明されていますが、これは大きな誤解です。異次元金融緩和で増加したのは、マネタリーベースだけです。マネタリーベースは流通現金と日銀当座預金の合計値で示されますが、いわば「おカネのモト」です。
金融政策の目的はマネーストック(経済に流通するお金の残高)を増やすことです。しかし、異次元金融緩和によって、マネタリーベースは増えましたが、借り入れ需要がないため、マネーストックは増えていないのです。
また、2012年秋頃から円安になりましたが、それは安倍政権の金融政策によってもたらされたものではありません。2011年頃には、ユーロ危機の影響で、ユーロ圏から短期資金が大量に日本に流入したため、円高が加速しました。ところが、2012年の夏から秋にかけて、ユーロ危機が沈静化したため、日本などに逃避していた資金がユーロに戻り、ユーロ高をもたらし、さらにドルに対しても円安をもたらしたのです。安倍政権が発足したのは、その後の2012年12月です。したがって安倍政権の政策が円安をもたらしたのではないということです。
── 金融緩和からの出口はあるのでしょうか。
野口:私は、異次元金融緩和をやめ、物価目標もやめるべきだと考えています。しかし、金融緩和を停止すると、金利が暴騰する危険性があります。日銀保有の国債残高が巨額なので、長期金利が上昇すれば、含み損が発生します。仮に3%金利が上昇すれば、日銀が保有している国債の評価損は69兆円に達します。つまり、金融緩和からの出口はないということです。こうした事態は、かつて日本経済が経験したことがないことです。
◆「最先端を走る中国」は、歴史の正常化を意味する
── 現在、日本が直面している課題は何だと考えていますか。
野口:(1)労働力の不足への対処、(2)社会保障支出の増大への対処、(3)中国の成長などの世界経済の構造変化への対処、(4)AI(人工知能)などの新しい技術への対応です。
特に、経済発展を続ける中国とどう付き合うかは、これから日本が直面する最大の課題だと思います。中国の基礎研究力の向上には、目を見張るものがあります。2018年に全米科学財団が発表した論文数世界ランキング(2016年)で、中国は世界1位となりました。アメリカは2位に、日本は6位に、後退しました。コンピュータサイエンスの分野でも中国は世界1位になりました。最近まで、スタンフォード大学とMITがトップを走っていましたが、中国の精華大学に抜かれました。東大は91位です。未だに東大には、コンピュータサイエンス学科がありません。絶望的な状況です。
東大には偉い先生が大勢いるので、新しい分野の研究が進まないのです。学生が大学に残ろうとすれば、自分の先生の研究分野をやらなければならないからです。これに対して、精華大学では、文化大革命によって偉い先生がいなくなってしまいました。そこで中国の若い研究者たちはアメリカに渡って勉強したのです。そして彼らは中国に戻り、新しい分野の研究を推進しました。
実はいま、GAFAのさらに先を行く「ユニコーン企業」の時代に進みつつあります。未公開で時価総額が10億ドルを超える企業です。空想上の一角獣のように「ありえない企業」という意味で「ユニコーン企業」と呼ばれています。これまで、ユニコーン企業の中心はアメリカでしたが、いま中国のユニコーン企業が続々と誕生しています。古い産業が温存されている日本では、ユニコーン企業は生まれません。
高速大容量の5G(第5世代)の基地局の通信機器は、中国のファーウェイ、スウェーデンのエリクソン、フィンランドのノキアによって独占されています。日本のシェアは、わずか2%です。NTTの注文があるので、辛うじて2%を維持できていますが、それがなくなれば現在のシェアも維持できません。しかし、日本人には全く危機感がありません。5Gによって世界がどう変わるのかといった内容の記事は出ますが、日本の立ち遅れを指摘する記事は皆無です。
歴史を振り返ると、人類誕生以来、中国は常に最先端を走っていました。ところが、この数百年、中国はおかしくなっていました。そして、いま中国は再び世界の最先端を走ろうとしています。つまり、歴史が正常化したということです。
しかし、目覚ましい発展を続ける中国とどう付き合うかは、非常に厄介な問題です。中国は未だに全体主義的な体制です。しかも、AIの技術を急速に取り入れて、全体主義を強化しています。そうした国家のあり方を認めていいのかという問題があります。一方で、経済的には、世界の先端を走ろうとする中国との関係を正常化する必要があります。非常に難しい問題です。
いずれにせよ、日本人は、一日も早く眠りから醒め、世界の変化に追いつく必要があります。ルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』の中に登場する赤の女王は、「同じ場所に留まるには、一所懸命に走らなければならない。もし別の場所に行きたいのなら、その倍の速さで走らなければいけない」と言っています。現在の日本人に向けられた言葉だと考えるべきです。
(聞き手・構成 坪内隆彦)
提供元/月刊日本編集部 ●「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。