以下は、必見ヴィデオです。
日本NHK特摄 – 大蒙古·文明之道!(中文字幕) – YouTube
この内容は、暗記していてもいいくらいです。
特に、
①ネストリウスはキリスト教が、今でも、イラン北西部にその信仰があること。
②部族統合から始まったテムジン(ジンギスカン)の国家観(国家像)
③ロシア皇帝と、ロシア正教は、モンゴルから正統性を得たこと
④フビライの国家運営。特に、銀と、塩の専売と、飛銭。
「一帯一路」構想は、モンゴル史専門家、岡田英弘氏の研究を、王岐山が学んだものです。
私は、ジンギスカンの「天」の思想に注目します。
そのもとになるものが、隋書と遣隋使に見られるのです。
600年の遣隋使に、隋の文帝楊堅は、倭のオオキミであるアマタリシヒコの政治の姿を、
尋ねた時、 「天を兄、日を弟とする」と聞くと、「それは間違いだ。改めるように」
と指示した隋書に記されているのですが、私はこのときの「天」に特別な意味を感じます。
その7年後、倭国は、小野妹子を使って、煬帝に、正式に書簡を届けました。
「日出づる処の天子、日没する処の天子に、書を遣わす。恙なきや」
このとき、倭国は、煬帝に、仏教研修生の受けれを要請し、
それは、隋からの返礼使の裴世清を見送る時に、8人が送られました。
その中に、後の645年に「国の博士」になる、高向玄理と僧旻がいました。
あと日本書紀によれば、この間の603年に飛鳥朝廷で木造の弥勒菩薩で示され、
それを安置するにふさわしい寺として、秦河勝によって太秦に広隆寺が建立されました。
広隆寺の弥勒菩薩は木造で、ネストリウス派の「三位一体」の指組みをもっていました。
同時期に新羅でも多くの弥勒菩薩が造られたが、これらは皆金属製で、しかも、
「三位一体」の指組みはありませんでした。