中華民国草創期の重要人物に徐世昌と徐永昌。両者は山西省生まれ。山西は北魏時代から大商人が生まれる土壌。天地をつないで感受する「富」発生情報は五台山に秘密。唐を開いた李淵は元は太原太守。その一族は自らを老子(李丹)の末裔と意識した。

こんにちは、

私は、外語大に進んで以来、人類社会で常に最大の人口を抱える中国大陸で、繰り広げられた各時代の王朝の興亡は、それを引き起こす運命の秘密があるはずで、その本質を見極めたいと自分なりに研鑽を積んできました。そのために、書物にあたるだけでなく、実際にその現場にいた人物が体験した真の体験談を少しでも多く聞きたいと願いました。

王朝(統治体)の興亡とは、どのような運命で決まるのか?その運命をもたらす心のエネルギーと、天意からの情報は、どこで生まれ、どう、夫々に時代に生きる人間たちに広がってきたのか?大陸の戦国状態をまとめた始皇帝。その始皇帝以来の人類社会で、人間の経済活動に関する重要なエネルギーが天から送り込まれるのを、それに気づいた少数の人間がまず気づき、その人物を起点に、個々の人間の心が響き合って連繫して、現実の冨、中でもマネーの発生につながるよううになるには、時代時代の人間のこころに、未来への確信になる、「心の周波数の核心になるものもの」があるはずで、それを受けやすいところが必ずあるはずだと、ずっと探し回っていました。その結果、たぶんここではないか、とにらんでいる地域があります。大王朝を作ったり、それを支える実態の物的経済力の基になる生産力を生む、人間の意識や行動で、大切なのは、心の在り方です。そこから、人間社会の「富」が発生するが、その周波数に同調できるところのことです。

もちろん、ここで指摘する情報とは、その地の深奥にも響く情報(周波数)のことで、当然ながら、マネーや利権だけを追うものとは違います。ナポレオン戦争のあとウィーン会議から始まった「金融ワンワールド」を目指す勢力によって、マネー獲得を最優先の意識とは違います。その首魁のイギリス・オランダとそこに溶け込んだ、信仰ユダヤ人は、インドや清朝との貿易で、大量の銀貨が流出する事態(インド産の茶、中国の陶磁器・工芸品の輸入)に、それに対抗するために、まずインド大陸内の勢力同士を意図的にいがみ合う構造を作って、それを取りまとめるといって、結局を自分の支配下にする社会構造を作り(ここで英語が普及)、そこで、効率よくカネ(銀)が稼げる「最高の輸出品」として、アヘンを生産させた。そのアヘンを、清朝の中国大陸に持ち込んだのが、実質的にイングランド銀行の運営権を掴んだロスチャイルドが見つけあげて育てたサッスーンです。彼らは、中国大陸の南部にインド産アヘンを持ち込み、それを、それまでの沿岸海運や大陸内の水運で生計を立てていた人間と組んで、大都市に運んで、巨大な財産を作り始めました。で、それが、浙江省寧波を起点としたシンジケートで、青幇と自らを呼び出しました。

一方、1917年のロシア革命での人類世界の変化を感じ、さらに、1925年の孫文の死後に、満州を占領じ、自分の意のままになる統治体を作り出そうと、国家建設の画策に乗り出したのが、明治の上級層と関東軍の中核でしたが、彼らが求めた「支配のための情報」と、その山西省でのものは、まったく別次元のものでした。

ピュアに現実に個々の人間の意識に入り、人間の自発的な意思によって、統治体の姿や指導勢力に関わらず、生きるに足る生活条件を整え、人々の心に安心と未来への連続性を感じる、天から降り注がれるエネルギーのことです。それがあってこそ、着実な未来つくりへと、実行動を引き起こす。「神」や「統治体の神聖さ」や、統治体で生まれる利権と語る精神性は、それの流れを常に狂わせます。そうではない、天地の間で、ピュアな響きを感じるときに、富を生み出し、集まるような何かがあるのではないか?

私は歴史を丹念に振りかえって、中国大陸の山西省には、地球の大地からの響きと、天からの波長が合いやすく、アンテナとなるところがあるはざだと、直感し、その典型となる場所が五台山ではないか、と考えるに至りました。

私は鄧小平の「改革開放」で大陸の民の意識と生活環境を一変させた、この人物の「事実求是」の心と、王朝の興亡の中で、天地が響く場所を考えたのです。私は、彼と直接、会って「豊かさ」に向けて心を許し合える人間と話したいと思っていました。それが実現したのが、鄧小平がトランプゲームのブリッジが大好きで、その仲間の集まりに、よく呼ばれた人間と知己を得たことでした。彼は、革命将軍軍の息子でしたが、彼自身から、鄧小平に会う前には、いつも山西の五台山に行っていたと聞き、その時に「閃き」ました。

私がぬなとチャンネルで、9月3日、日本の降伏を約したミズーリ条約にサインした中華民国代表の徐永昌のことをわざわざ取り上げたのは、彼が、山西省出身だったからです。さらに同じく、初期の中華民国の中で、山西省の出身で、大総統になった人物に徐世昌がいたからです。清朝の後、大陸の民にとって、両者は、「国際社会」の接触するとき重要機会に立ち会いました。イギリスが仕掛けたアヘン戦争~太平天国~義和団事件などで、大陸国内が経済的にも精神的にも、腐ったり、壊れまくり、魯迅の嘆き知ったうえで、孫文後の中華民国で、政治的にも頭角を現したうえでのことです。何か、運命的な力がそこに働いていたのではないか、と考えたのです。

特に、人民中國になって、さらに「改革開放」後に、天安門事件が起きて、いったん四面楚歌状態になった、1990年代になってからは、共産党の指導では、経済最優先政策が始まるのですが、1985年以来の実業家にった友人から、山西省には不思議に金持ちが多いと聞いたからです。最初、それは、石炭で儲けのだろうと簡単に考えていたのですが、どうもそうではないと、わかってきて、さらに、山西省の歴医的役割や意味についても、熟考するようになあったのです。天地をつなぐ「響き」の中でも、経済発展、特に「実の豊かさ」は、どのように立ち上がってくるのか?なにか、特別の関係性や、秘密があるに違いない。人間社会の経済的豊かさに関わる周波数と、それをキャッチするに際し、何か関係があるのが山西省ではないか。ずっとそう考えていたのです。

その点、蒋介石は、浙江省の奉化の出身で、海外の勢力との関わりの方が深い土地柄の人間でした。

中華民国は第一次世界大戦が起きると、そこに連合国側で参戦しながら、それまでにドイツに押さえられていた山東半島(青島)を、山東半島の竜口に上陸した日本国によって軍事占領されました。それを徐世昌たちはまるで、泥棒猫のように奪われたといって、怒り、それを日本国に対する恨みとして生涯、忘れませんでした。特に、1917年のベルサイユ会議の時は、中国は日本を激しく非難しましたが、当時の国際社会からはその声は、無視されたままでした。日本国は、このとき、そうした中華民国の声と別次元に、英米に対して、当時の国際状況の中で、自分の立場を高めるために、「民主差別撤廃」提案をしたのです。

解説 ヴェルサイユ条約とは?内容や目的、賠償金額まで分かりやすく解説 – 3ページ目 (3ページ中) – レキシル[Rekisiru]

この提案に対し、中国(中国人)自体が、その差別の撤廃対象になっていないではないか、として、日本側の主張には、矛盾も非があると感じていたのが、石橋湛山でした。

また、このヴェルサイユ条約の内容を知って怒ったのが、当時の中国の学生たちでした。彼らは、政府に対する抗議行動を始め、それが、「5・4運動」でした。

彼らは、政府に反対を表明するだけではなく、中華民国の国家の在り方や、営方法、それ以上に「統治の姿」まで変えようとまで声を上げだしました。その様子を、上海で実際に見ていたのが、北一輝に、この情熱には、学ぶ必要があると感じ、後に、昭和の国家改造を目指す「国家改造私案」を書いたのです。

中国大陸で、漢の時代以来の伝統勢力(地主層)と遊牧系の新興勢力が話し合い、新しく土地利用に関する取り決めを行ったのは北魏の時代で、まだ、洛陽に遷都する前の平城時代です。

この時の中国大陸内の社会変革や、権力者同士の宗葛藤の姿がよく描かれているテレビドラマが「北魏、フウ太后」です。

北魏馮太后』(2006年、中国、演:ウ-・チェンリェン)  ・・・必見ですね。

ここには、拓跋鮮卑から始まった北魏(首都は大同)が、孝文帝時代に洛陽に遷都する経緯も描かれます。この孝文帝および、その育ての親の文成文明皇后が、もっとも敬意を示していたのが、高句麗の長寿王でした。また、この劇中には、450年以後、西方(天山~甘粛)からキリスト教(景教)の影響を受けた仏教勢力が入り、彼らは、金属鋳造の技能(金属製仏像)と、石窟寺院の建築の技術を持っていました(雲崗石窟寺院)。当然、彼らの周りには多くの富が集まりました。

晋の滅亡後の分裂状態の中国の大地を、再び統一したのが、隋の文帝楊堅で、この人物は、595と年泰山封禅しています。その時の楊一族と親せきだったのが、鮮卑出身の李氏でした。なかでも隋時代に山西省の太原太守だったのが、李淵でした。この人物が、隋の高句麗遠征や大運河の建設で民衆の苦しみが増える隋末の混乱の中、618年に唐朝を起こしました。このときの李淵直系の李氏の人間は、その後は、ずっと、自らは老子の末裔と言い出しました。。

また、山西省の南部には仏教にとって重要な地があります。梁武帝の姿を見た後、信仰と豊かさとは何か、そして、その時自分自身の心の在り方はどうするべきか、を問い続けた人物が、インド生まれの達磨ですが、彼は、嵩山に籠って、8年「面壁」した後、528年、最後は山西省の三門狭にある、熊耳山でシカイ(存在を消す)しています。

天と地に間に生きる人間。しかも、人間社会に、どのような、意識をもたらすか、そのお触れを自ら出せる人間が、皇帝です。私は、現実的な富とは、人間の心が生み出すもので、その心を整える重要な場所が、北魏以来、この山西ではなかったかと思えるのです。

1949年の新中国になって、さらに改革開放の後、山西省では石炭採掘で幾人もの大富豪が実際に生まれ、彼らの富は、中国大陸内に、多くの「無から有を生み出す」意識を支えていたのです。

徐世昌はとにかく生涯、アジアの中でいち早く近代国家になった日本を恨んでいました。その徐世昌の無力さに対し、声を上げて、作り上げたのが、現代につながる中華人民共和国なのです。蒋介石に指名され、ミズーリ条約に立ち会ったのが、徐永昌ですが、そのあと、中国大陸は国共内戦の大激戦が始まりますが、アメリカでは「赤狩り(マッカシズム)」が巻き起こります。国共内戦の行方は、腐敗と麻薬を徹底的に嫌う毛沢東の軍隊に、どんどん民衆が支持の声を上げ、その中で、徐永昌は何応欽らと大陸を去り、台湾に行きました。

不思議なのは、改革開放の後、上海にも株式市場ができ、さらに1990年代、上海博物館が大改装されると、そこに、「徐」を名乗る、香港人の名士が前漢時代の龍の陶器の置物を寄贈し、それが、目玉展示の一つなっていました。きっと、徐永昌の関係者だな、と直感しました。

世界は今、グリート・リセットの時代。

本当の冨とは、、そして、想像と創造のできる、人間社会の豊かさ、安心で穏やかな平和な暮らしとは、一体、何で、どうすれば実現するのか?

ミズリーリ条約の後、大日本帝国の戦闘は終わっても、戦後は、彼らを生み出した、満州亡霊が、自民党の心の内側に入っていたのでないか?

彼らは、本当の喜び、心の安寧を生み出していなかった。これが、いま、統一教会問題や、ウクライナを見ればわかることですね。

最後に、山西省の代県は、日本列島に、大陸に対抗する神聖さをもたらす「ある人物」がかかわった需要ポイントでもありました。その話は、また別の機会に。

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この記事を書いた人

新井信介

1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。