金沢出版さんが、以下の映像を見つけ出してくださいました。
(1) ミズーリ号上で降伏文書に調印する各国代表 – YouTube
さらに、アメリカのニュース映像があります。(1) Japanese Sign Final Surrender (1945) – YouTube
ここの6分48秒には、徐永昌が、連合国側の中華民国の代表として、サインをしていることが示されています。
(さらに蒋介石がなぜ徐永昌を送ったかを書いたこのブログも参考にしてください)。.
日本が降伏して署名したとき、なぜXu Yongchangは中国に代わってチェン・カイシェックに署名したのか (sohu.com)
こちらの映像では、連合国司令部としてのアメリカが、日本の東京湾に戦艦ミズーリを派遣し、そこに、降伏する日本側の席に用意され、その反対側に中華民国を含む連合国側の代表の席が用意され、そこに、当事者が集まった、と解説します。
この解説の視点からわかるのは、中華民国に対し、日本側が戦争を仕掛け、その中国を助ける立場で、アメリカを中心に連合国が集まり、日本が組んだ枢軸国のイタリア、ドイツがそれぞれ敗北した後、日本が降伏した、というものです。
私は、1994年、中山法元氏から、あの時の連合国、すなわちアメリカの参戦とは、1931年9月に満州を奪われ、翌年、溥儀を満州国を皇帝に据えて満州国が建国され、さらに、1937年7月の盧溝橋事件の前までに、日本軍による華北での爆撃が続いていたのですが、戦火が拡大した中華民国の華北の現状を見て、大総統(蒋介石)は妻の宋美齢がアメリカに渡って日本非難をしたものの、蒋介石はアメリカに正式に軍事支援を求めるなく、地下ルートで救援を求めていたものの、アメリカが表立って、それに応じたのは、1937年12月の南京事件の後だった、と教えてくれました。
しかし、満州事変が起きた9月18日の直後の9月22日には、中華民国は、国際連盟に日本の軍事行動を非難する提訴をおこすなど、日本の行為の不当性を訴えましたが、その状態を戦争状態だとは言いませんでした。また、満州国を作った日本側も同様で、それは、両国とも、アメリカから屑鉄と石油を輸入していたため、この事変の後も、アメリカを中立の立場の国(政府)と位置づけ、その経済関係をそのまま継続するために、日中は、その状態を「戦争」とは言わず、大陸内で、どんなに衝突があっても、それを「事変」と双方が言っていたのです。
(また、中華民国政府の大総統として正式にし認められたのは、蒋介石が1927年10月に、神戸で、宋三姉妹の母と会ったときで、それは、その年の12月に蒋介石と宋美齢の上海での結婚(梅龍鎮飯店)したことで、中国全土から承認される形になりました。以来、全面的に蒋介石を支えたのが、上海を拠点にした青幇の杜月生です。その杜月生に関東軍の謀略で、満州での活動の維持費に、1931年以来、満州産アヘンを送って秘密資金を作った工作員がいました。その人物は、1926年に天津に連れ出した溥儀を、さらに、満州事変直後に、奉天に連れ出した坂田誠盛です。彼が作り上げた秘密組織が坂田機関です。その坂田機関は、ミズーリ号での調印後の9月3日からあとは、日本では、アメリカの戦後の対日支配工作のキャノン機関の日本代表になったのです。)
ちなみに、このミズーリ条約の後の9月3日からは、大陸内では、中華民国の指導部内部の路線闘争と、各地で勢力を維持する軍閥、さらに、辛亥革命後もバラバラと残っていた伝統的勢力(地主、淫祠邪教、山賊など)と、麻薬売りをする勢力に対し、第八方面軍(共産党)が、徹底的な攻撃を加える対抗勢力となりました。
私は、1945年9月に、南京にいた日本軍の南支派遣司令本部が、中華民国軍に対し、武装解除するときの実際の様子を、その日本側の司令官、河戸博詞氏本人から聞いています。この話は、すでに、皆神塾では話していますが、中華民国の現場の指揮官たちが日本軍の武器を回収するとき、彼らの意思でどのような報告文をまとめるかが求められて作られ、それとは別に、夜な夜なその現場に秘密裏に現れた八路軍側が、河戸氏たちに、何を求めていたか、さらに、その代償として、何を持ち込んでいたかも聞きました。「日本軍が作った地図が欲しい。見返りに金塊を出すから」というものだったそうです。一方、菊のご紋をつぶした日本軍の銃器や大砲を回収する中華民国軍の責任者者は、わざと実際の数量より少ない量を報告書に記載せよ、書き直しを求めたのです。
ともかく、中華民国に対し、日本は降伏したのです。
この戦争では、1931年の満州事変から、1937年盧溝橋事件まで日中双方は、実際の戦闘行為が諸所であるのに、「戦争とは言わなかった」。そして、その状態を、アメリカ側は、「日本の侵略」とは、公式には言わなかったのです。
それに対し、2015年元旦、当時の平成天皇は「満州事変からの歴史を振り返ることは極めて重要」と発言した。特に、国共内戦に勝利した共産党政府は、1931年の満州事変のことを日本の侵略戦争としているのです。(岸信介も、同じく、総理大臣になった後に、あれは侵略戦争だった、とインタビューで答えているのです)
今現在の国際情勢では、ロシアとウクライナでの戦闘問題ですが、ウクライナに、ソ連解体後、かつての枢軸国ドイツを実質支配したナチスの生き残った残党の意を受けたものが入り込んで、ここを拠点に戦争の火種を作っていました。それらが、新生ウクライナ政府にどんな影響をもたらしているのか? これは、台湾やアメリカに入り込んでいた青幇と組んだ戦争屋と意を通じた勢力で、その正体について、ソ連解体後の主権国家であるロシア(プーチン)は、どう向き合ってきて、いま、どんな決意でいるのか?
今のウクライナに対する戦闘行為をロシアのプーチンが、絶対に「戦争」と言いません。これは、国家間戦闘ではないという意味なのです。ロシアの場合は、ウクライナ東部のロシア系住民を、ウクライナ領内にいるナチス系統の破壊分子から守るという大義から、軍事行為発動の動機が出ていり、ウクライナ政府の占領ではないのです。
あと、参考までに、戦後、制作された日本の映画に、任侠組織の「稲川会」の始まりを描いた『修羅の群れ』があります。
(1) 修羅の群れ 01 – YouTube 劇中では、稲川竜二は、稲原竜二になっていますが。残念ながら、肝心な「02」「,03」の動画が見つかりません。岸信介が、1957年に総理大事になった後に、彼の組織は大発展したようです。
(1) 修羅の群れ 12 – YouTube 稲川組は、昭和34年(1959年)に銀座に事務所を構えた。
この映画の劇中でも、ミズーリ条約の発布後の、1945年9月3日の様子が描かれます。(これは、カットされた中での「02」から「03」の部分にあります)。
戦中、日本軍部の秘密基地が作られていたのが熱海で、それまで、日本軍の下で使役されていた「三国人」たち(国籍がまだ定まっていない人たち)が、ミズーリでの調印式の後、「日本負けた」といって熱海で暴動を起こし、そに対し、当時の警察が全く太刀打ちできず、抑えこむことができませんでした。そのとき、熱海のすぐ東の湯河原にいたのが稲川竜二で同志を募ってその暴動の鎮圧にむかったのです。それが、稲川竜二が、単なる博徒から、戦後の公権力と一脈通じる側に回った原因でもあります。
ちなみに、第二次、岸田政権で防衛大臣になっているのは浜田靖一氏ですが、彼の父、浜田幸一は、その稲川竜二(通り名稲川聖城)に見いだされ、その隊列に加わった木更津の任侠人士でした。
稲川氏が世に出るのは、熱海騒動の後、アメリカの進駐軍が横須賀港に入港するとき、日本国内にいる婦女を、アメリカの占領軍の兵士の横暴から守れる自警団を組んで、さらに、かつての博徒と連携し、組織化したことがきっかけでした。
(オマケ)
熱海には、なぜ、以下のような、ナチス関連の遺品を集めた資料館があるのでしょうか?
東京別視点ガイド : ヒトラーの遺品で埋め尽くされた博物館「風雲文庫」【静岡県熱海市】 (another-tokyo.com)
答えは、1936年の226事件の直後、皇室のある人物(ヒロヒトの実子)が、日本国政府の一致した意向として、バチカンに派遣され、彼とナチスのヒトラーが勢力を拡大するときに、バチカンに残されていた最後のビザンチン皇帝の身分で、その正当性いいながら、枢軸国を形成するとき、金融面で支える特別な関係だったためです。この人物は、ドイツの崩壊前にバチカンからアメリカに亡命していました。
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