「新井信介先生を偲んで」、「現代の声講座」に「瓊音(ぬなと)のひびき」が掲載

「新井信介先生を偲んで」ということで、「現代の声講座」(金沢出版社)に掲載された「瓊音(ぬなと)のひびき」という記事を以下ご紹介させて頂きます。
→ 瓊音(ぬなと)のひびき

<白山に秘められた日本建国の真実>
共振する縄文の心・翡翠の波形-泰澄の白山開山の意味-

 白山は縄文時代からの山として人々の信仰を集めてきた。六千年前、日本列島では、お互いの命の響きを正確に伝え合う共振装置としてヒスイを発見し、大切に身に着け出した。その信仰の中心に最も響きの分かる女神を選び、ヌナカワ姫と代々呼ばれ続けた。太古の時代から白山の存在は、北の日本海と南の太平洋へと流れ行く命の水を分け恵む特別な水分(みくまり)の山だった。そんな日本列島に憧れ入植した人たちから、命を産み育てる力はイザナミと呼ばれ、人々はこの力を、水そのものと同一に見ていたのだ。 

一方で、国や統治体のことをイザナギと呼んだ。これらは陰と陽のように表裏を成し、この二つの力がこれまでの日本国を導  いてきた。しかし令和が始まった今、日本国というこの統治体は人々の幸福よりも経済の発展を重視し、マネーの追求に明け暮れ、その結果多くの問題と疑問と苦痛を人々にもたらしてきた。そして今、かつて経験したことがないような、先行きの見えない不安が日本人と社会を覆っている。    

さらに今、縄文から続く六千年来の人々の覚醒が静かに始まった。         

白山には三つの入口がある。一つは加賀から入る道で、ここは古代に崇神(すじん)天皇が糸魚川(いといがわ)のヌナカワ姫に会った帰りに、石動(いするぎ)を過ぎて白山を遥拝した場所であり、そこには現在白山比咩(しらやまひめ)神社が建立されていて、白峰(しらみね)を拠点とする
ルートになっている。崇神は日本列島に水(命)を恵む山としての白山の存在を、自身の統治体の中に取り込もうとした。        

もう一つは越前から登るルートで、ここには平泉寺(へいせんじ)白山神社がある。平泉寺白山神社の社家である平泉(ひらいずみ)家の平泉澄(きよし)氏は、明治から戦後にかけての皇国史観を打ち立てた人物であり、二二六事件の解決に深く関わったことでも知られている。平泉家は日本を一つにまとめいく上で、国としての統治体に白山の力で命を吹き込む命を受け、中でも、澄氏は、後で出てくる白山を開山した泰澄(たいちょう)の澄の字を貰い受けている。

そしてもう一つのルートが美濃から登る道である。ここには長滝(ながたき)白山神社がある。ここから登ると、やがて道は白山中居(ちゅうきょ)神社へと続く。この神社こそが本来の白山の信仰を現代に伝えているとても重要な場所なのだ。そこは石徹白(いとしろ)という集落があり、石徹白という姓の代々の禰宜さんがおられて、これまでの白山の歴史や信仰を人々に語り伝えてきた。

なぜ、それほどまでに白山という山が、人々の心を六千年以上にもわたって惹きつけてきたのか?              

答えは、そこが世界の何ヶ所かに存在する白山神界と呼ばれる場所の一つだからだ。アフリカのキリマンジャロ、ヨーロッパのモンブラン、アメリカのマッキンレー、そして中朝国境の長白山(白頭山)とわが国日本の白山。宇宙と地球を繋ぎ、自由に行き来するエネルギーをドラゴンと観れば、白山神界はドラゴンが休む場所であり、宇宙からのエネルギーが降りてくる場所でもある。そしてそこは地球に生きる人々やさまざまな命に、生きる力としての水を分け恵む場所なのだ。

アフリカや中東から、西域を通って。あるいは中国を越えて。大河を渡り、砂漠と山を越えて。こうした智慧と信仰を持つ人々が、ユーラシアを横断して長白山へと至り、朝鮮半島を通って日本海を渡り、この白山へとやってきたのではないか?と私は考えている。               

そこで「白山を開山した泰澄」とは、一体どのような素性のいかなる人物だったのか?ということについて私見を記すが、それには、ひとまず聖徳太子にまで話を遡ることになる。日本の歴史を教科書で習ったように見ていると、まるで大陸や朝鮮半島とは切り離された別の場所としか理解できないが、新井史観で見ると事実はまったく違う。

太子は、六世紀にユーラシアにまたがる巨大な帝国をつくった遊牧民の突厥(とっけつ)の出身である。

突厥はその後東西に分裂するが、太子は分裂した西突厥の皇子・タルドゥなのだ。彼は高句麗を経由して日本へやってきた。日本での彼の名は厩戸(うまやど)皇子である。いかにもトルコ系遊牧民である突厥の皇子らしい名と言える。そして太子が高句麗王族の娘との間に平壌で儲けた息子が淵蓋蘇文(朝鮮語ヨンゲソムン)だ。淵蓋蘇文は日本書紀にイリカスミの名で遺言が記されており、日本では大海人(おおあま)皇子と呼ばれていた。              

つまり天武天皇だ。唐に国を滅ぼされた淵蓋蘇文(天武)は、頻繁に行き来していた倭国において重要な地位を与えられてい
た。しかし彼は、白村江(はくすきのえ)の戦いで天智天皇が唐と新羅に敗れ、唐の臣下の立場になり、大化改新以来の中央集権化した統治体の倭国が、唐の冊封下になってしまったことに憤り、反旗をひるがえす。壬申の乱である。その結果勝利した淵蓋蘇文は天皇となり、国名を日本と改め、唐に拮抗できるべく倭国の体制を改変していくのだ。

この時に伊勢神宮が天皇家の皇祖の起源として現在の場所に移され(正確には伊雑宮)、天皇家の歴史が国史として編纂され
ていく。詳しいことはここでは割愛するが、泰澄とは、天武晩年の政務を代行した天武の息子、大津皇子(おおつのみこ)の子である。つまり泰澄は天武の孫にあたり、聖徳太子の血を引いている。そこには白山神界の存在や、そこに交響しあう天と地の智慧をどのように人間の統治に使うか、その真摯な姿勢が充分に受け継がれていたのだ。

(註;伊雑宮では宇宙と交響する「太一」を祀る儀式がある。現在の伊勢神宮内宮は持統の参拝を契機に造られたが、その神域には、伊雑宮の「太一」は入れない仕来たりとなっている。)              

私が泰澄と天武天皇、大津皇子との関係を前述のように見る根拠を述べる。泰澄は六八二年(天武朝十一年)に生まれた。母は「越前勝山の人だった」とされている。幼くして神童と評されたが、後に「道昭という僧侶に見出されて出家した」
と伝わっている。道昭とは遣唐使として唐に赴き、玄奘三蔵のもとで修行した高僧だ。ご存知のように玄奘三蔵は六二八年意を決して、太宗李世民の許可の下、天竺を訪れ、貴重な仏法を唐へともたらした人物だが、三蔵はこのとき天山を越えてその北側、現在キルギスのイシククル湖畔の町スイアーブをわざと経由してインドへ向かった。その途中に、日本列島から本国へ帰国した晩年のタルドゥ(聖徳太子)と会っていると思われる。玄奘はインドから戻った時、洛陽では高句麗遠征に出かける太宗李世民の大兵団を目撃している。            

道昭はインドから唐に戻った三蔵の下で十一面観音心経を学んだ。西突厥の首府キルギスのスイアーブに戻った太子と会った  
のが玄奘三蔵、そしてその弟子となったのが日本列島からの留学僧道昭という繋がりからも泰澄の出自が窺われるのだ。六九六年、道昭の指導で越知山に籠って修行した泰澄はまだ十四歳だったが、十一面観音心経を身につけた。白山信仰において十一面観音が信仰されてきた理由はここにある。タルドゥ・天武の思いを継ぐ大津皇子の子として生まれた泰澄は、高市皇子(たけちのみこ)が殺害されるという政変の中、出家という手段で、その生命が保証され、来たる日に備えたのである。                  
七〇一年に大宝律令が完成すると、翌年、持統天皇の孫とされる文武天皇は、粟田真人を史上初の女帝、武則天(武照)の下に派遣した。武則天は六九〇年に即位して王朝名を周としたが、これは唐を否定し、すべてを始皇帝以前に戻してやり直せ、との意思の表れだった。持統は武則天の即位に合わせ、自らも即位し、中華王朝の冊封下の倭国ではなく、対等の国である日本国を正式に認めてもらうことが念願だった。   

一方で国内では大伴安万侶(おおとものやすまろ)が、越前の山で修行をしていた泰澄の下を訪れ、新生日本国の鎮護国家法
師として正式に認められたことを告げる。大伴安万侶はかつて天武に仕え、壬申の乱でも活躍し、天武の葬儀を取り仕切った人物である。彼は泰澄の素性をすべて知っていたと思われる。ここに唐からも正式に日本という国名を認められ、内外ともに新しい国「日本」が始まったのだ。   

その頃日本海を挟んで対岸にあたる沿海州では、六九八年に渤海国が建国された。この国の王・大祚榮(テジョヨン)はすで  
に滅んだ高句麗の遺民であると伝えられている。唐と新羅を除いて東アジアでは、高句麗の滅亡後ほぼ同時期に、日本と渤海の二つの国が新たに起ち上がったのだ。これは決して単なる偶然とは思えない。

そして大陸では武則天が開いた周は、彼女の死をもって国名を唐に戻したが、混乱は続き、武則天の孫である李隆基が七一二
年に即位して自らを玄宗と名乗った。この時、日本では古事記の編纂は最終局面だったが強引に完成となった。古事記は厩戸皇子の誕生を最後に書き記して終わっている。

厩戸の功績や大化改新などはない。実は、厩戸(タルドゥ)の登場の時から龍体の日本列島において、中華に負けない強い統治体を創り上げようとする意志がはたらき始めていた。その一つの現れが大宝律令、そして、龍体国家に天地のエネルギー注ぐこと。 

泰澄は七一六年白山に登ることを決意する。同じ年、渤海国の大祚栄は白頭山に登っている。そして翌七一七年にはとても重
要な遣唐使が派遣されている。その中には阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)、吉備真備(きびのまきび)、藤原宇合(うまかい)などがいた。宇合は藤原不比等の三男でその名は最初は「馬養」 (うまかい)だが帰国後「宇合」に改められた。不比等
が、「宇と合う」としたのは、これで、宇宙の運行や権能と叶う国家ができるぞ、との想いがあったのではないか、と窺われる。

彼らの重要な目的の一つは、復活した唐の皇帝、玄宗李隆基との間に、日本の国史として編纂している「日本書紀」に厩戸皇  
子(タルドゥ)の存在をいかに書き記すかという合意の形成だった。その結果、太子は日本で生まれ日本で死んだというストーリーができあがった。この出来事で日本は大陸との関係の中で独立した一つの国として歩み始める。この時に、まさに渤海国と示し合わせたように泰澄は初めて白山に登り、国家鎮護の要として白山を開山した。
大祚栄と泰澄はともに白山神界に登り、中国と朝鮮半島と日本のあり方を正しく導こうとしたものと私には思われる。
これ以降、新生日本国の中で白山の存在はとても大きくなっていく。そして日本列島は、大陸と切り離された別の天蓋で覆わ
れていくことになる。            

七三六年、奈良では元正天皇(女帝)が病に伏した。泰澄はこの病を治し、翌年には奈良の都で天然痘が大流行する。不比等  
の四兄弟がすべて死去するという相当な惨状だった。のちに光明皇后となる安宿媛(あすかべひめ)は仏教に深く帰依した人として知られているが、不比等の死後に実権を握った長屋王(高市皇子の父)が七二四年聖武の時代になっても彼女の皇后即位に反対したため、兄たち四兄弟と同じくひどく恨んでいた。渤海の第二代、大武芸の使者が奈良にまで来て、日本国と高句麗は兄弟国と主張したことに四兄弟は父不比等がつくり出した列島内のみを王権にするという枠組が壊れることを恐れ、長屋王を自殺に追い込んだ。
以後の平城京での疫病大流行は深刻さが増すにつれ、長屋王の祟りとも噂された。光明皇后は、縄文からの精(命の響き)を持つヌナカワ姫ならば解決の智慧を持っているはずと、遥々と奥信濃の野沢に向かったが、その手前、飯山の小菅と北竜湖で本人の影を感じて温泉に浸るときから覚醒が始まった。泰澄は、国権の頂点にいる皇后の改心を待ち、その響きを背景に天然痘という病魔の完全沈静化を果たした。泰澄はこれによって大法師という称号を朝廷から授けられ、人々と国を救う聖人として崇められる。
以来、日本国においては、泰澄が開いた白山は、天と繋がり地上の命を活かす重要な場所として人々の尊崇を受けることとな
る。
(註;長屋王の大親友であった大伴旅人は長屋王死去の報を福岡の大宰府で知り、四兄弟の横暴への反発の意を込めて梅花宴を開いたが、それを記した歌集の文言から取り上げられたのが、現在の元号「令和」である。)

しかしその反面では、白山を管理することは日本国をイノチの次元から支配するという意味を持っていた。それ故、その管理  
を巡っては争いが絶えなかった。江戸時代には加賀藩と越前藩が、また古くは平泉寺の領有をめぐって三井寺と比叡山が争った。そんな中で白山中居神社のある石徹白の人々は、白山とともに生きることの意味を考え続けてきた。この天と地の間で生かされている命とは何かを見つめてきたのだ。

冬場は豪雪に見舞われる土地で、白山とともに生きてきた人々が一千年の時を繋いで受け継いできた志、それは『人間界の富
や権力から遠ざかり、自然から授かった利子、実際の実りで生きていく』というものだった。そのためにこの集落では人口は千人を超えてはならないとされ、それが守り伝えられてきたのだ。

地湧の神官である石徹白氏を中心に、今なお白山と暮らす彼らの目に映るものは、明治以降の近代国家としての日本、特に
後においては原発を福井県が次々と受け入れ、すべてがマネー中心で動いていく社会の姿。そのためには自然や人の暮らしを平気で壊し続けていく世の中。そこには水を分け恵み、命を生かし続けてきた白山への純粋で敬虔な信仰のかけらもない。      

奈良、平安時代から鎌倉、室町時代には多くの寄進が集まり、白山は聖地として信仰された。戦国時代の加賀の一向衆は白山  を大切に守り、のちの藩主前田家も白山を篤く敬った。こんなふうに白山への信仰は時代を超えて守り伝えられた。そこは命の水を分け恵み、命を活かす聖なる山としてあり続けたのだ。 

今私たちは、この時代に白山の意味を知り、改めて日本と日本人を見つめ直す必要に迫られている。私たちは人間としてこの
日本をどういう国にしたいのか? そのためにはどんな枠組みを創ればいいのか?その答えを導き、私たちの未来を開く鍵と
なる聖地が白山である。そこには地球の中心と繋がった大きな宇宙からのエネルギーが降りてくる。そして人間を雪や水のように純化し、精神性を高めてくれる山である。そこまでの真摯な思いがないと、とうてい白山の神からの祝福は得られないと思う。

白山を知ることは日本人と日本国を知ること。それは私自身、あなた自身を知ることでもあるのです。

善之・編集『JAPANGRAPH』石川号(発行:七雲、宇治市、2020)より転載
 当講座記事NO.176再掲

<ご案内>:

先日来ご連絡をさせて頂いておりますが、2024年10月1日に、新井信介先生が急逝されました。
皆様も同じかと思いますが、なかなかこの事実を現実のものとは受け入れがたいというような気持ちもまだございます。

この「ぬなとチャンネル・アルファ」は、2023年8月以来ですが、それ以前は、「ぬなとチャンネル」という名前でYouTubeでビデオをアップさせて頂いておりました。
しかし、残念ながら、そのアカウントのビデオをご覧頂くことが出来なくなり、新たに「ぬなとチャンネル・アルファ」で再スタートさせて頂きました。
新井信介先生も、その「ぬなとチャンネル」の多くのビデオが見られなくなったことを大変残念がっておられました。

今般、残念なことに新井信介先生が急逝されたのですが、まだ新井信介先生が考えられてこられたことが、必ずしも「形」になっているわけではありません。
そこで、私どもは、新井信介先生が部分的ではあっても残されたものを「形」にする作業をしばらくは続けていこうと考えております。
先般、ご案内させて頂いた「新井信介先生追悼ビデオ」もそのような作業の行う中で作成したものです。
現在、進行しているものとしては、新井信介先生の考えを書籍や冊子としてまとめることです。

先ほど申し上げた新井先生の残されたものを「形」にする作業を行っている間は、この「ぬなとチャンネル・アルファ」では、
それ以前に「ぬなとチャンネル」でアップさせて頂いたものが、現在見ることが出来なくなっていまいまいたので、編集するなどして、改めて皆さんにご覧頂けるようにしていきたいと思います。

今回ご案内させて頂くのは、2018年にアップさせて頂いた「天下御免シリーズ」です。
このシリーズには内容別に4つのシリーズがありますが、今回ご案内あせて頂くのは「日本論」です。
それ以外にも沢山のビデオがございますので、順次アップさせて頂きたいと思います。

<補足>:

「瓊音ショップ」では、新井信介先生の過去の講演会のビデオ(DVD)、マドマゼル愛先生の「MIチューナー」、「姫川薬石」などの販売をあせて頂いております。
過去のビデオ(DVD)をご覧になりたいというお声も沢山いただいておりますので、これまでどうよう皆さんにご覧頂けるようにしていきたいと思います。

なお、今回の「天下御免シリーズ」の「シリウスの話」に関連するものとして、「瓊音ショップ」では、『「皆神塾:基礎講座」<コスモロジー編>』DVD
(2015年6月4日・5日に収録)を好評販売中です!!

このDVDは、新井信介先生が20年来研究してこられたいわゆる「新井ワールド」をテーマごとに
詳しく、また、わかりやすく解説して頂こうということで、作成したものです。
今回は、その「新井ワールド」でも、中心となる「コスモロジー」についての解説DVDです。

「文明のスタンダード」「3つのコスモス」「シリウス」「アカシック・レコード」
などなど、皆さんも「皆神塾」などの講演会でよくお聞きになっている事柄
だと思いますが、講演会では詳細に聞けないことも多いかと思いますので、
今回はそれらについて改めて解説頂きました。
全編で(時間:295分:4時間55分)の2枚組み長編DVDです。

販売価格は、「4000円」(瓊音倶楽部会員の方は、「2000円」)です。
尚、恐縮ですが、別途送料300円を頂戴します。

《ご注文の予約やお問い合わせは、担当の室伏までご連絡ください。
詳細は次のリンクからご覧ください!! ⇒ 瓊音ショップ:DVD:基礎講座・コスモロジー編

上記以外にも新井信介先生の講演会ビデオは「瓊音ショップ」でご購入いただけます。
「瓊音ショップ」には200タイトル以上の新井信介先生のビデオがございますので、ぜひ、チェックしてください。
ご覧いただきますと、講演会のレジメなどもご覧いただけます。
⇒ 瓊音ショップ:DVD販売

連絡先→TEL:03-6284-4312 FAX:03-6284-4313 携帯:090-5804-5078
E-mail:k2o3184murofa@jcom.zaq.ne.jp   》

何かご不明なことあるいはご要望などございましたら、ご遠慮なくご連絡頂けたらと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

東京都台東区上野3-18-4 エムズ上野スクエア7B 〒110-0005
株式会社K2O 室伏 昭昌
TEL:03-6284-4312 FAX:03-6284-4313 Mobile:090-5804-5078
E-mail:k2o3184murofa@jcom.zaq.ne.j p
URL:https://www.k2o.co.jp    

いいね 0

講演会に参加しませんか?

講演会(皆神塾)を毎月開催しております。時事問題から、歴史、経済、宗教等々様々な分野についてお話します。
Youtubeやブログで新井を知ったという初めての方でも大歓迎です。最新の講演会については下記バナーよりお申し込みください。


ぬなとショップおすすめ商品

『瓊音倶楽部』『皆神塾』のご案内

何のために、私たちはこの世に存在するのか?
この問いは、6000年前に文明が始まった時から続いています。
瓊音倶楽部では、この問いに対して、人体(機能)と心(魂)からなる「人間」を見つめます。
人類は、文明を生み出しましたが、それによって生きている人間の喜びが、つぶされては意味がありません。
どんなに喜び、生きるのか?私たちは、皆さんと一緒になって考えていきます。(注)「瓊音」とは、全てのイノチのヒビキのことです。

『皆神塾』:文明アナリスト・新井信介を中心に、隔月で開催する勉強会です。時事問題から、歴史、経済、宗教等々様々な分野の問題を解き明かしていきます。

(注)『皆神塾』は隔月で開催しており、講演内容はDVDに収録して販売しております。
詳細については「瓊音ショップ」をご覧ください。

『瓊音倶楽部』:会員制(有料)で、毎月1回情報誌をお届けしています。
「皆神塾」や「ブログ」などでは、お伝えできないようなオフレコ情を含めて、「明確で強いメッセージ」を会員限定でお届けしています。

また、月次でレポートをお届けするだけではなく、様々な特典がございます。詳細については、以下の「瓊音倶楽部のご案内」(PDFファイル)をご覧ください。
》瓊音倶楽部のご案内(PDFファイル)

「皆神塾」「瓊音倶楽部」についてご興味のある方、ご不明な点がございましたら、下記問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください。
》お問い合わせ

この記事を書いた人

株式会社K2O