こんにちは。
70億人が、宇宙、地球、全生命と、どう、調和して生きれるのか? もちろん、人間同士でも。
この大きなテーマに、私たちは、真剣に立ち向しかないところに来しました。
これは王族たちや、資本家たちのテーマでもあるのです。 そのとき、マネーをどう位置づけるのか?
しかし、彼らは、思考が限界です。ゼロクリアボタンが押せないのです。
ですから、私たちが、宇宙と響き合って、それをやりましょう。
戦後のブレトンウッズ体制では、米ドル基軸体制を作りながら、その裏で、
通貨の裏づけになるものとして、まず、金(ゴールド)、そして、ニクソンショック後は、石油に。 それが、21世紀に入ると、それすらも、なくなってしまった。
今、資本主義の最終段階です。アメリカは経済的に生き残るために、強引に、日本に自民党政権を復活させましたが、そこで、これまでどおりのやり方で、マネーを膨らませても、いい現実を作るものにはなっていません。
まして、今の安倍政権は、国境問題で、あえて「緊張」を作ることで、 「国家」の存在を高めようとしています。
20世紀の二度の世界大戦の原因、そして、それに関わった日本の天皇システムの正体(シュメール以来の権威、さらに、国際金融との関係)がはっきりしないことが、問題をゆがめています。
靖国神社は、戊辰戦争で戦死した長州軍の人間を「神」として祀ったことから始まっています。 薩長主体の明治政府が、帝国主義の時代に、台湾進攻、朝鮮併合、満州領有を国策として進め、「神である新天皇」の支配領域、すなわち、天皇の御稜威(みいづ)を拡げるのが目的でした。これは、イエズス会が掲げた、「神の世界」を広げるのと同じ考え方でした。
しかも、ここでは、国家を富ませる経済的な目標が、国家に寄生した人間の個人的な富の獲得と一体でした。
日本列島にいる人間はすべて「天皇の赤子」とされ、それ以外の人間とは、明確な区別をしました。このときの日本国民は、「皇民」とされ、それを、列島以外の人間にも拡大しました。 ここの内容とやり方が問題だった。
重要なのは、明治以来の近代化では 西欧知性や科学技術を取り入れたのですが、西欧がそれを生み出すに至った、基本となる思想的背景、理性のエンジンを、まったく消化しないままだったということです。
西欧の近代は、その主体性の核心が「自我」の完成(単なるエゴイズムではなく、自分が現実世界の主宰者であると言う自覚)の時代であったのに対し、日本の場合は、「滅私奉公」で、自我を消滅させ、思考することを放棄し、国家が作り出した枠組みのなかで、優位な地位を得ることを目的にして、知的努力が費やされました。
それゆえに、いまだに、国家という「政治的枠組み」に、個人が縛られたままです。
人類が獲得した知性でもっとも崇高なものは、人間は誰もが、統治者の一員(ルールを作る存在)だいう理解とその自覚です。
この前の戦争に関していえば、なんといっても、天皇ヒロヒトが、明治にできた国家システムのなかで軍事の暴走を、もっとも嫌い、二度とさせなくなった事実が重要です。しかし、明治にできた国家システムの暴走は、いまだに続いています。 それが、原発マフィアです。
今、東アジアの各国が、「国家」という統治体を、どう変容させていくか、という段階です。
「国家」に取り憑いている悪魔の正体を、晒さないといけません。はっきりさせないと、退治できない。
また、書きます。