ちょっと、ショック。
掲題について、さっきまで、ブレトンウッズ会議から、サンフランシスコ講和条約、ニクションショック、 Y2K、東アジア共同体、ジオニスト、スカル&ボーンズ、イルミナティー、 イエズス会について、現在までのことを、「天皇の金塊」資金まで踏まえて、いろいろ書き込んでいたのですが、操作ミスで消してしまった。
まったく、脱力。
とりあえず、気を取り直して、ポイントを書いておきます。(23日の東京では、きちんと話しますね)
最重要事項は、
戦後の日本は、アメリカ(スカル&ボーンズ)による、「ピンハネ・カツアゲ」構造にあったこと。
これを進んで受け入れながら、その中で、仲間内の利権を作っていたのは、自民党。政官財、マスコミ、学会。
この人間たちが、いままでどおりの利益を、得たがっているということ。
自分で考えることをせず、戦後に敷かれたレールを一生懸命に、走る。 水戸黄門のテーマソング どおり。
教育現場では、偏差値によって、その数あるレールのなかで、選べるレールを格付けした。
こうして敷かれたレールの上や先にどんなに問題があろうとも、このレールを敷いた人間たちを権威とし、そのことに対し疑問を抱かせない。
自分が人間として、この世に生を受けたことの意味を、真剣に考えさせない。 思考させない。
思考がないから、当然、自分の世界がない。作れない。
いつの間に誰かの奴隷になっていることにも、気がつかない。
いや、気づかせないための教育を受けてきた。そして、高級奴隷になるための訓練のみが繰り返された。
もし、自分の置かれた体制に疑問をもったら、出世が遅れた。だから、日本社会は、トップはバカばっかり。
戦後の「ピンハネ・カツガゲ」構造が見えない人間、あるいは、見ようとしない人間は、利権で発生したゼニカネで酔わされ、喜んでシャブ漬けにされた。そこで、ドンドン、ローンを借りて、消費奴隷にもなった。
そのシャブが少しでも減るとなると、ワーワー喚く。 そのとき、どんなに、そこで、同胞のイノチが蝕まれていても、それには無感覚なままで、これまでどおりのシャブをくれ、国のカネをくれ、といい続ける。
日中が連携することで東アジア共同体を創り出す。これが、21世紀の、日本の「経済」発展の道だった。
(この場合の「経済」は、 人間が豊かに暮らす「経世済民」ではなく、数字上の「金融資産」のこと。)
そのとき、戦後の覇権を握っていたアメリカの軍事力に対抗し、平和的に、「経済」的に繁栄を作り出す。
それが、中国国内での急激な格差の拡大、不満を日本に向けるやり口、尖閣問題の先鋭化。 そして、
今回の「918」で、日中ともに、「経済」はガタガタになります。 当初の目論見が、終わりました。
「ピンハネ・カツアゲ」のジャイアンが、「天皇の金塊」をもとにした通貨発行権をこれまでどうり、維持するために、 大暴れ。
> ひとつだけ補足。
1951年のサンフランシスコ講和会議は、中国の国共内戦が終了し、蒋介石が台湾に逃げ、毛沢東が天安門で、中華人民共和国政府の宣言したあとに開かれた。 イギリスは北京政府を、アメリカが台北政府の参加をそれぞれ支持し、日中間の講和は、当事者同士が話すとされた。 翌年、日本と中国の講和条約では、日本は、最初、台湾と結んだ。
しかし、1971年7月、キッシンジャーが訪中し、8月15日に金とドルの交換を停止するニクソンショックの後、10月25日に、北京政府が中国の代表政権として国連に加盟した。翌年、ニクソンが訪中後、田中角栄が訪中し、国交が回復。
ここから、中国と日本の正式な経済関係が始まっている。1984年からは「改革開放」が始まった。 そのときの尖兵となったのが松下電器だった。松下政経塾は、松下幸之助が戦後の天皇の金塊を基にした特殊資金(M資金)を受けた(合計3回)とき、その時の一部を使ってつかって、創立したもの。
1989年の天安門事件のあと、北京政府は四面楚歌となったが、状況突破のために、彼らは裏では鄧小平の客家ルートに支援を求めたが、北京政府を救ったのは、平成天皇の訪中だった。 このあと朱鎔基が登場し、国営企業改革が進んだが、政治的には、江沢民の抗日教育が強められた。
中国バブルも終了。 そして、日本経済は単なる停滞から、本格的な構造変換に入っていく。