今日、衆議院選挙の公示です。
村田先生から、メールが来ていました。
竹本修三京大名誉教授からのメッセージを添えて。
日本国という、この統治体では、誰も責任を取らないまま、原発を再稼働です。
統治体としての「責任の所在」を、はっきりさせないままの状態では、どんな政策論議も、むなしくなります。
一度できた制度で、流されるばかり。その根本を、本気で正そうとしない。
メディアと識者、とくに、立法府の人間(国会議員)が、行政側とともに、これを指摘しないのは、
自分が乗っかっている生活や利益・待遇の基盤を、変えることを、忌避しているためでしょう。
この無責任国家の淵源は、戦中から終戦にかけて、タブーとなっていた天皇の存在にあります。
「開戦の詔勅」を出した昭和天皇について、終戦後(実際は敗戦後)も、統治者としての責任を問わなかった国民と、それを利用して、国家機能をまるまる盗んで、「宗主国」になったアメリカ。
当時の天皇は、「現人神」という信仰の対象であっても、為政者としては、統治体の最高責任者だったはずです。
これが、戦後は「人間宣言」で、生まれかわり、以後、この「現人神」時代に下された統治者としての判断と、その責任については、一切、回避されたままです。
その責任放置の状態のままで、戦後の国家体制が始まり、それが、いまでも、続いているのです。
そして、アメリカの戦争屋の手下になった、岸信介閨閥の清和会が、財閥と組んだ官僚独裁で、
今の安倍政権を生んでいるのです。
戦後の日本国家の本質を、見逃すな! 見失うな!
彼らは、列島に生きる日本人個々人を 好き勝手に選別しながら、
アメリカの「冊封」下、行政が生み出したマネー・システムのために、いつも、食い物にしている。
ただ、そのなかでも、この無責任な統治システムから抜け出そうとしているのが、今上さんです。システム全体の中心となっている、人間アキヒト氏が、自らの意思で、この統治体の体制改革を、主権者である日本国民に求めたのが、昨年夏、発表された「生前退位」です。それは、来年年末に挙行されます。
これまでも、今上さんは、2000年12月の「ゆかり発言」に続いて、今年も9月20日に「高麗神社参拝」と、主権者である私たち日本国民に向けて、大きなメッセージを発しているのですが、この意味を、メディア側が、全く受け止めていません。
理解力がなく、判らないのか、それとも、あえてこれまでのシステム維持のために、伝えないのか?
イノチの大本に戻って、今の人間世界を考える。
この意志のない人間には、既存制度をゼロクリアできない。 そして、未来を、創り出せない。
その前に、責任の所在を確定させない国家(統治体)では、再生・新生ができない。
以下、村田光平先生のメール。
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