今回の尖閣諸島での、中国漁船の拿捕、さらに、地検の判断での船長釈放劇は、
中国側に、領土面では日本は、簡単に大幅譲歩するとのメッセージを送りました。
早速、謝罪と賠償の要求が来ています。
私は、この24日の釈放(本当は、こうはいいたくない)は、アメリカの意向があったはず、
と書きましたが、事実は、そうした意向が直接的にあったわけではなく、なんと、日本に
残っていた仙谷官房長官の一存だったことが、次第に明らかになりました。
まず、菅に電話し、さらに、前原に、伝える。
菅政権の決定という形を見せずに、「那覇地検の決定」とし、それを、「菅政権が了解した」
との形をとりつくろいました。
これは国家としての決定、なかでも政権としての意志を、あいまいにして、逃げたものです。
菅総理は、首相就任時、自らが、自衛隊の最高指揮官であることを、知りませんでした。
国家は、統治機能であり、これは、同時に暴力装置です。
その暴力の最大のものは、軍事力です。
その指揮権をもつことの意味を、普段からまったく考えずに、政治家を名乗ってきたのです。
何をかいわんや。
そして、今回の事件です。
国民の「生活再建」の前に、国家同士が衝突した場合、そうした生活の前提の「生存」が
脅かされるという、政治の基本が、まったくわかっていなかったのです。
これは、受験勉強や国家試験以前のものもで、人間として生きるときに最も基本である、
生命感覚・生存意識のことです。
仙谷氏は事件後すぐに釈放するようにいっていたようですが、これが民主党内で意見が
割れ、結局、菅、前原が不在のとき、フジタ工業の社員が拘束され、あせりだし、
自分の責任を明確化させないようにして、釈放したのです。
自分のしていることの重大さ、深刻さが、まったく見えていない。
「粛々と」といっていた前原にしても、
この日本と中国の、非対称性をまったく理解していません。
菅は、論外です。
首相になるとは、国家暴力を振るえる人間になるということです。
こんなもっとも重大な自覚がないのでは、何も前に進めません。
自分の基本となるポリシーが、確立してこないからです。
民主党。 なにかにつけて、姑息過ぎます。
日本の戦後が、アメリカの占領下で始まり、その経済発展での「ママゴトのお庭」で
理屈こきで遊んでばかりいた人間たちなので、そうした表面の裏にある、人間社会の
深みには、まったく注意が届かないままだったのです。
この政党には、本当に、忍耐力が鍛えられます。
私は、1994年から中国で事業をしようとして多くの苦渋を味わいましたが、
今は、そのときはまったく別次元で、許しがたいほどに、
腹の腸(わた)が、煮えくりかえっています。
すこし、すっきりするために、これから映画でも見に行きます。
でないと、本当に、このお腹が破裂してしまう。
姑息過ぎる。これでは「日本」が消える。
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。