宮崎県で、口蹄疫が大発生。
多くの牛豚の殺処分が決まりました。
世界中で、その味が評判になっている、国産和牛の種牛が、
ここ宮崎が元でした。
なぜ、どんな経路で、口蹄疫が入り込んだのか?
この検証も大切です。
和牛の精液が、盗まれたのも、ここ宮崎でした。
宮崎県は、いわずと知れた、天孫降臨 の地 とされます。
記紀神話では、
高天原にいる皇祖神アマテラス から、生身の人間である神武天皇の誕生、
そして、東征に出発するまでの舞台が、 この宮崎=日向国 ということに成っていました。
アマテラス~ アメノオシホミミ~ ニニギ~ ウガヤフキアエズ~ カムヤマトイワレヒコ(神武)。
ここにあげた、5人の中で、実際に存在したのは誰か?
維新後の明治政府は、記紀にある、神武は実在の人間で、奈良の樫原に紀元前660年に
実際に即位した、と断定し強弁し、伊勢神宮を頂点に、日本全国の神社を「官幣」しました。
さらに戦後、昭和天皇が「人間宣言」したあとも、明治神宮脇にある神社本庁では、その説を、
実証的な検証もしないまま、自らの権威付けに使っています。、
宮崎は、神々が住む天上界の高天原から、 アマテラスの孫の神であるニニギが、
人間が暮らす地上世界に、 天降った、場所なのです。
しかし、その前、その宮崎にある「天岩戸」に隠れたのが、 アマテラスさんで、
その岩戸をこじ開け投げ飛ばしたのが、手力男タチカラオで、
その投げ出された岩戸は、長野県北部に落下し、そのためにできや山が、戸隠山。
もう断言してもいいでしょう。
こうした、高天原から神武誕生までの物語は、 690年に伊勢神宮ができてから後、
不比等によって、十分に、検討されたうえで、創られたのです。
ここにあるのは、すべて実話ではなく、ある地域の出来事の記憶を元にした創作神話です。
日本列島を、一つにするために、政治的にできたものです。
しかし、そのなかに、日本列島の真実の歩みも、反映されています。
もちろん、宮崎に関係します。
今回、口蹄疫の被害が最も出たのは川南町ですが、そのすぐ北側に、都農町があります。
ここは、美しい滝があり、日向一宮とされる、都農神社があります。
この神社のご祭神は、 大己貴命(おおなむち)です。
私は、縄文時代からの日本列島に、3000年前に稲作民が渡来したあと、
いかにして、王権が誕生したか、を自分自身が納得できるように丹念に追っていますが、
そのとき、どうも、最初に、国家建設の意志が、外部から入った場所が、 日本の九州で、
そのとき、最初に、その拠点になったのが、この日向ではないか、と、考えています。
その時期は、 アレキサンダー大王の死の前後で、まだ、中国には、
秦の始皇帝が誕生していない時でした。
殺戮や裏切りのない、自分達の国家を造ろうとする、意志は、 私は、紀元前1007年に
古代イスラエルを建国したヘブライ人が、もっとも強かったと思います。
その関係者が、そのとき、日本に来た。
特に、北イスラエル系の王族エフライムが、物つくりが得意なダン族を従えて、
海路、日本に来ています。
エフライムのトーテムは、牛。
ダン族のトーテムは、蛇。
エフライムは、大隅半島に上陸後、この日向に拠点を作りました。
その跡に建てられた神社が、 都農神社です。
今回の口蹄疫被害は、このすぐ横から、始まっています。
いろいろ考えさせられて、とても、悲しくなっています。
あまりにも悲しい偶然。日向の国とエフライム。
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この記事を書いた人
新井信介
1957年長野県中野市生まれ。東京外国語大学(中国語専攻)から住友商事を経て独立。中国の改革開放に立ち会い、独立後は西欧世界にもネットワークを構築。地球史の視野で、国家・宗教・マネーの意味と構造を探り、個人の可能性(想像性・創造性)と、普遍的文化価値を探求している。そのために、『皆神塾』を主宰し、会員制の『瓊音(ヌナト)倶楽部』も立ち上げて、研鑽を深めています。