《 宗教(神の概念)・国家・通貨 》
人類が、自然に溶け込み、その響きのなかで、調和して生きていたとき、
これらは、 まだ、発生していなかった。
自然そのものと一体であったため、自分が感じ取ったり、つかみとった、自然の一部分を、
誰かに、「売る」なんてことは、ありえなかった。
そもそも、「売る」という行為は、利益を期待するものだ。
「利益」という概念そのものが、暴力でのし上がった権力者たちによって、
所有権や財産権が確立してから後に、できたものだ。
《 宗教(神の概念)・国家・通貨 》は、 人間が、頭の中でつくりだした約束事。 共同幻想 といってもいい。
6000年前のシュメールで、始まっている。
穀物の収穫。その管理と分配が、「文字」を生み、 そこから、概念ができる。
文字は、 サインやシンボルとは、根本的に、ちがう。
これが、中国大陸に入って、さらに、多くの人口と収穫物をえて、夏王朝になり、漢字が生まれ、
そこに、海路でフェニキア人が入って、殷になり、青銅器が大量に使われ、
さらに、陸路で、エジプト・ヒッタイトの人間がはいって、鉄と騎馬をもちこんだ。
周代は、 実は、大商業時代。通貨が大量に生まれた。
それが、春秋戦国になり、それを、始皇帝が統一。
この間、日本列島は、ずっと、文字も金属器も拒否していた。
もちろん、通貨なんか、その価値(効用)を認めていなかった。
縄文人は、文字が作り出した概念での「神」は、まったく、受け付けなかった。
あるものを、あるとして、
ないものを、ないとした。
イノチの実相と、感じあい、向き合っていた。
実は、それは、ブッダの悟りでもあった。
それが、今の日本列島は、どうなのだ。 放射能と、マネー。 メディアの堕落。
人は、なぜ、戦争をするのか? なぜ、環境を汚すのか? なぜ、迷信をもつのか?
人間が創り上げた社会が、「虚構の約束」で動いているから。
それも、国家権力と、マネーによって。 さらに、メディアが、真実を伝えない。
そして、虚構の世界での勝者が、今、マネーを多く獲得し、富裕層になる。
しかし、 人間である以上、誰もが、今の、地球の現実からは、逃れられない。
世界が汚れて、混乱すればするほど、偽りがなく、ピュアなイノチがあふれるところが、貴重になる。
汚染とウソだらけのところに、行きたいというものがいれば、それは、単に、ものずきか、マネー目当て だけ。
快適さと 自分の尊厳のために、人は、生きる。
そして、人は一人では生きられない。 誰かから認めてもらって、ヒトになる。
ウソのない美しい田舎に、自分の尊厳が感じられ、生きている意味を表現できる舞台を創る。
これは、なにも、マネーがあるからといって、できるものではない。
誰かが作りあげたもの(環境)を、マネーで、買うことはできるが、一体、誰が創りだすのか?
INNER INITIATIVE 内発的創造性。
求めるものが、そこに、なければ、 創ればいい。
一人で できなければ、仲間を、求めればいい。
そのとき、貧富も、年齢も、国籍も関係ない。